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2014/02/17

学習テーマから

あなたにとって「人間とはどのようなもの」 と考えますか。

人間とは、その人にとってより良い自分自身になっていくことのできる、成長可能な存在であると考える。そして、自分自身になっていく過程において、自身の感じている感情に気づくことが必要であると感じている。感受性を磨くことである。自分の経験になってしまうが、なにも感情を感じずに生きていくことは難しい。その時々に感じる気持ちに影響を受けながら意識的、若しくは無意識的に行動していると思われる。その行動のほとんどが、自分にとって都合の良い選択を しているであろう。自分が大事であって、自分を守ろうとする働きが機能するイメージである。学習会の中では、心理的適応という概念で学んだと思う。自分の気持ちや考えが自己概念と一致している状態を指し、その人にとってより良い方向にある時は、心理的適応の状態にあると記憶している。もちろん、すべての行動について、ひとつひとつ影響を与えた感情を実感できている訳ではないので、無意識に行動していることも多いと思うが、はっきりとしたことは分からない。 後に振り返ると、「こんな気持ちだったからだ(だったのかも)。」と、気づくことがある。考えただけで気づくこともあれば、言葉にしてみて気づくこともある。言葉にしてなお、気持ちがはっきりしないこともある。気持ちを言葉にして表現することは難しい。言葉にしてみると、「違うな。こんなことが言いたい訳 ではないのに。」と、気持ちとぴったりな言葉がなかなかみつからない時がある。そもそも、学習会に参加するまでは、自分の気持ちに目を向けようとする機会 が少なかったかもしれない。

では今、ここで、レポートと対峙している自分を感じてみる。すごく苦しい自分がいることに気づく。なぜなら、人間が成長可能な存在であるということを(自 分なりに)学習会で学び、理解していた内容を自分の言葉で表現することを試み、それができない自分がいるからである。理解していたことを自分にぴったりな言葉で表現できないことが自分にとっては苦しい。その為、頭で考え、より自分の気持ちと一致する言葉を探すが、出てこない。考えれば考えるほど、うまく言葉で表現しようとする気持ちばかりが強まる。しかし一方で、言葉探しが一層難しくなり、自分の気持ちとなかなか距離が縮まってくれそうにない状況に陥る。 そこでまた気づく。理解したことを、自分の体験として、経験として実感できていないことに。学習会で知りえた事柄は、理解していたのではなく、理解したつもりでいることに気づかされる。そして先程までは、そのことさえ実感できていないまま苦しんでいたことに気づく。気づいたところで、いまの自分には、これ以上、このテーマについて掘り下げていくことは難しいように感じる。しかし、このように苦しみなど、様々な感情を感じながら自分を知り、認めていこうとする在り様が自分自身になっていく過程なのかもしれないと思う。人間は、悩んだり、苦しんだりする中で、その人なりに落ち着くところをみつける筈である。 いまの自分がこのテーマについて、これ以上言及できないことを受け入れたように。自分を知り、自分なりの受け入れかたで認めていくことが、より自分らしく成長していく過程であると自分は考える。

≪Y≫