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2016/04/01

学習会でのひとコマ 37

少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝えあいが実践的に体験学習として繰り広げられています。

 

🙂 聴き方講座世話人 若狹のコメント・声がけ

 

ロジャーズのパーソナリティ理論を学んでいるグループで、参考資料として今回使用しました。

🙂 若狹が10数年前に、ある学校でカウンセリングの講座を持たせて戴いた時に、学生さんが書いたものです。名前を伏せて使用する許可を、当時得ています。以下原文のまま使用します。

 

課題 『知覚が変化すると行動が変化すると言われていますが、自分の経験例を述べて下さい。』

《 体験例その1 》 20代前半男性

ずっと人間が嫌いだった。それは自分も含めて。自分にとって汚いもの。例えて言うなら、99人同じTシャツを着ていて、1人だけ違う色のTシャツを着ている人がいると、其の99人は、1人の個性を見ようとせずにその1人を非難する。時には、自分自身が『99人』の中にいて、時として『1人になった』人の心に見え隠れするドロッとした、吐き気がするような物が、小さい頃から目についた。誰かⅠ人を敵視し1人が自分より劣っていると言うことだけに優越感を覚え仲間意識を植える。そうしていなければ『和』を保てない。そんな感覚が自分の中にもあることが許せなかった。

自分を傷つけることで、何かに謝罪していた。気に入らない人間を傷つけることで、自分を正当化していた。

少年期に両親すら心の底から嫌いになった。傷つけたいと思っていた。年齢を重ねていくにつれ、両親の愛を感じることができるようになってきた。それを感じることによって、心の霧が晴れていくのが分かる。人間への不信感が、嫌悪感がだんだん薄くなってきている。

ここに来て、人があたたかいものと知った。今じゃ 心を開ける人間もいる。人間を汚いものと思うこともある。でも今は人が好きだ。

 

《 体験例その2 》 20代前半男性

自分の夢を応援してくれている母だが、父は現実主義に加えて理想主義なので、いつも「現実は~、現実を見ろ」と言う口癖で、自分の意思を聞き入れてくれなかった。

ある時酒で酔っぱらった勢いで自分の部屋に入ってきて、何を口にするかと思えば、自分の親に対する態度等、社会への姿勢等無いことばかりを話題にあげ、たたみかけてきた。いつものことだった。父は息子との会話、いわゆるコミュニケーションを図ることをいつも理想としていた。だが その話初めはいつもこちら側の印象を悪くさせることばかりで、思い込みやでっち上げがほとんどのものばかりだった。父のこう言う処の酒癖の悪さには、母も呆れていた。自分は父を父と見ていなかった。いずれ自分が父となり子を持とうとも決して『このような父』にはなりたくなかった。いつものように無いことばかりを話し終えた父は、やっと『本当に話したかったこと』を話し始めた。それは絶対意識を持たないこと。「専門学校に行っているのならば、絶対に資格を取らなければならないという考えをあまりするな」と言うことだった。父は自分の夢を知っている。「もしどうしてもこの道でなければ自分の夢を叶えられないと言うのなら、学校をやめても良い」と許してくれた。どこかで救われた気がした。それから少し父を見る目を変えた。父も青春時代はギターを片手に色々と活動していたらしい。夢もあったようだ。自分とその頃の父の姿を重ね合わせたのか。堅物だと思っていた人物は、今では、見直せる堅物になった。自分は、子の夢や意志を尊重できる『父』になりたいと自らの父を目標にしていきたいと思った。

 

🙂 これを読んで下さったあなたの『たった今』湧いでる想いは、どんな?