私は平成25年11月1日より11月4日までの4日間、エンカウンターグループに参加しました。3年ぶりのエンカウンターグループで様々な出会いと気づきを得ました。
私がエンカウンターからしばらく遠ざかっていたのは、今までのエンカウンター参加で苦手意識ができていたため、無理をしてまで出たくないとい気持ちが働いていたように思います。
それが、今回はとりあえず全部参加してみようとすんなりと思えたのです。
さて、実際参加してみると、そうそう、こんな感じだったと、過去のエンカウンターを振り返りながら、今回は上手く切り抜けられそうな気がしていました。
上手く切り抜けられそうというのは、話すことも聴くことも間々ならない、過去の自分の立ち往生が思い出されたもの の、なんとか凌いで4日間を過ごせそうだと思ったのです。
ところがどっこい、そんな甘いわけがありません。
2日目、ある人の話に心が揺り動かされる自分がいて、それを抑えられない自分にまたもや、立ち往生してしまいました。 とにかく、ここは気持ちを鎮まらせて明日以降話したくなったら話そうと自分に言い聞かせました。自分自身の孤独の闇のようなものに触れたような感じに胸苦しさを覚え、家へ帰る道々も気が重いままでした。
もやもやした感じを抱えながら3日目を迎えました。有難いことにタイミングよく話す機会がありました。なぜかするすると話すことができました。今思えば言えてる感じとは、こういうことなのだと実感できます。話した内容こそ今ではあまり覚えていないのですが、その時は関わってくださった皆さんの気持ちが伝わってきて、信頼して話す、話し続けていいんだという瞬間、瞬間の自分に驚きながら話していました。
友達がいないんですと否定の言葉を言うと、あれっ友達はいるじゃない、と肯定の言葉がやってきます。なんどか話している中で、否定が一瞬にして自分の中で肯定に変わる感じを味わいました。自己受容が進むと、このような過程を進んでいるのではないかと思われます。
そしてその時、私は自分らしい表現で話していました。
言いたいことが言えない、言う勇気がない、それらのことを繰り返してきた私が、ごく自然に言えている。
そして、私は人間への信頼が前よりも大きくなっていることにも気づきました。その信頼はこれからの人生の出来事の中で度々揺らぐでしょう。それでもグループの中で聴いてくれたという体験が、自分の強さや自分への信頼を培える推進力だという認識が持てるから、それを信頼して立ち止りながらでも前へ進めそうな気がするのです。
そしてたくさんの人を目の前にして、言いたくなっているけど言えない、この話は苦しくて聴きたくない、今は他の人の話をシャッタウトして休みたいなどと、この場での様々な自分のありようも、日常の生活の人間には常に起こっていることなのだと自分自身に確認しました。
又、いつの間にか、私はちょっと聴ける私になってきたかなというところで、居ついてしまって、友達や周りの人を、成長していないと、見ていた自分がいて、そういう私に、あなたは今成長が止まっているよ。あなたの課題はこんなにあるんだよ、と見せてもくれる場でした。
そして話してくださる人の話は、その人だけが持つ世界。それはまったく自分の枠にはない、聴き難い話であることもあります。その人の心そのままを聴く他者理解は、いつまでも私の課題です。
伝え合いの中で他者への理解が進み、自らの自己開示の過程で自己受容が出来てくると、自己概念も拡がっていき、自己表現も更に豊かなものになり、自己洞察が深まっていく。今の私はそのことがなんとなくではありますが、心の中におけるような感じがしています。
様々に揺れ動く自分を味わいながら4日間エンカウンターの場に通い続け、自分の心に濃密に向かい合った時間は、とても貴重なものでした。
今思えば4日間出てみようと思い立ったのは、無意識からの呼びかけに思えます。自分に必要なものは必ずやってきて、気がつけばエンカウンターグループの皆さんから、さまざまな贈り物を頂きました。
最初は見知らぬ者同志のぎこちなさが、一人一人の話しをきっかけにして少しずつ動いていく。期間中動き続けていた力動、エネルギーが最終日にはきちんと収まるべきところに収まる。和合の中で収束していく感じを持ちました。カール・ロジャースのいう人間尊重の姿なのかと思います。参加された皆さんとの、一期 一会を思い返して、また少しずつ前を向いていきたいと思うこの頃です。
( F )