初夏を思わせる暖かな日が続く4月のある日の事、久し振りに友人を訪ねました。ご商売の関係でお忙しいのに、時間を作ってくださり、ゆっくりと語り合う時間をもつ事が出来ました。ビールで乾杯をし、美味しいご馳走をたべながらの語らいは、充分に開放された心地の良い時間を作りあげました。年に数回しかお目にかからない友人ですが、いつも私の心の支えで居てくださる方の一人です。いつの時も私の他愛のないおしゃべりに耳を傾け、時には眼を潤ませて聴き入ってくださるのです。楽しい時間は、こころ充たされ希望につながっていきます。生きる事の切なさや哀しさを受け容れている姿を感じさせ、安心して私もそれを笑い飛ばす事が出来ます。
帰りぎわ、彼女は一冊の本を貸して下さいました。お知り合いの方でしょうか。道内の建築家・石出和博氏のフォトエッセイ集『こころ紀行』という本です。文字以上にもの言う写真の数々と、素直な文章にあたたかいやさしさと、心の深さが伝わってきます。どのページを開いても心が揺り動かされます。その中で『転地療養』と題して書かれているところがあります。建築家である氏が写真を撮るいきさつが書かれています。
(一部抜粋)
一時期まったくいい写真が撮れなくなりました。
考えてみると良い写真を撮ってやろうと、あれこれ工夫しだしたら肝心のお地蔵様が
ほほえんでくれなくなったのです。
きっとその時の自分の気持ちをうつしているんだと後で気づいたことがあります。
その分の左のページには京都・三千院のお地蔵様が可愛らしい足を上げ、頬杖をついて寝そべっています。
何とも言えずいいお顔でほほえんでいます。
私の中に、柔らかな感覚で「そぅそぅ、そうなのよねぇ」とふっと言葉が湧いてきました。
言葉になった時、また次の言葉が・・・。
苦しみの中、悲しみの中、どうにも出来ず只々苦しい、只々悲しいとひたすらになったとき、その苦しさの中に、その悲しさのなかに、ほほえみが観えてくるように感じる時があるのです。相手をどうにか等と考え出したら、その ほほえみは遠く退いてしまう様に思われます。
・・・・・あるがままの姿に・・・・・
相手の姿に自分が観えてきます。『ほほえみを感じさせてくださる関係』という言葉に行き着きました。
できる事ならたくさんのほほえみが観たいものです。
表紙の次のページには黒々とした墨で大きく『感謝』と書かれた石出氏のサインがありました。
若狭 恵美子
H13.4.23 筆