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2007/12/03

先生冥利

20才前後の方々とカウンセリングを共に学ぶ機会を頂いたのは、昨年の春の事(注:この原稿は2002年のものです)。そしてこの2月に21日で予定どうり全日程を無事終了した。先生と名のついた立場でご一緒したが、何せ30名と多人数のグループに、どれほどの関わりが一人一人とできるのか不安一杯の、しかし 未知なるものへの期待と楽しみの試みであった。
漫画を読む人、携帯電話を手にしている人、トイレに立つ人、眠りこける人、心の不安定さから体調を崩している人、私語なんて当たり前。
学校方式(?)の、学生と対面する形で学習を始めたが、なかなかしっくりこない。グループに分かれてみたり、椅子席ではなく、ジュウタンに座り込んでの学習も試みた。
教室での重たい雰囲気から、ホールに場所を移して、語り合いもしてみた。しかし、何せ人が多い。一つにまとまるなんて至難の業。ほとほと万策尽きて「皆を振り回しながら色々やってみたけれど・・・」と思わず声になった。「先生、向き合って楕円になろう」という声。まったくもって、多いに救われた。先生一人で頑張る事ではない。共に作り上げていうそんな関係こそが私が願っている事なのだと、反対に思い出させてくださった。
何かをしながらも話は器用に聞いている人・真剣にこちらの発する言葉に耳を傾けている人・ずっと眠っている人・無関心の人・・・・様々 様々・・・・。
11月のある日、見たことのない学生さん(男性)が居るでないか。以前から興味があったので休講になった機会に受講したいとの事。無論学びたい人は大歓迎。そして今年1月末、またまた別の男子学生さんが、目の前に座っている。多くの仲間と一緒に、表現療法を楽しそうに体験していかれた。ご自分の正規の授業が休講となり、仲間は皆帰ってしまっている。こちらは3時間の学習であった。最終日の2月21日にはまた席に座っておられた。23名の他の学生さんと同じように当日の課題についてのレポートと、受講しての感想文を書いて私に手渡してくれた。突然受講した事を詫びる彼に、心底から言葉になった「先生冥利につきるよ。」
うれしい事に、カウンセリングを積極的に学び始めた人々もおられる。
5階の教室に向かう時に味わった緊張と、体の奥から沸き上がる得体の知れない恐れは110回にも及んだ講座の最後まで消える事はなかった。しかし、いつも私は自由であったように思う。
教えるという立場で出向いていったが、しかし 一つ一つが、その度毎に、私にとっては生きた学びの場であった。確かに深く、くっきりと私の大切な人生に刻み込まれた。ご縁があって、巡り合えた人々に深く感謝を申し上げたい。
今 ホッとした安堵感と共に、過ぎ去った日々がなぜか夢まぼろしのように感じられる時がある。

2002.2.25 筆
若狭 恵美子