暑い 暑い 今年のお盆でした。札幌から離れた町のグループホームにお世話になっている母を、2年半振りに我が家へ迎えました。91歳になる母は、全て車椅子での移動 です。私の娘、息子夫婦が子供達を連れて集まり、久し振りに賑やかな食事会になりました。母は、立って皆に挨拶がしたいと言いました。立ち上がることもま まならず、座ったままでしたが、それでも少しよそいきの言葉使いでしっかりと「自分の為に食事会を開いてくれてありがとうございます。」と皆に挨拶をしま した。
20年間共に暮らした我が家です。母が使用していた部屋に入っても、かつて大切にしていた品々を手に載せてあげても、趣味で描いていた水彩画の数々を見ても、もはや、全く遠く忘れ去られた過去になっているようで、興味を示すこともありませんでした。
それに付けても、数ヶ月前の出来事が思い出されます。
その日もいつものようにグループホームに母を訪ねた時のことです。その瞬間瞬間のとりとめのないおしゃべりもまた、いつものとおりでした。と 突然「私をお嫁に欲しい」という人が、沢山いるんだから・・・。」と母が言いました。
その仕草や顔は“乙女”のようにはにかんでいて、うれしそうに見えました。そのまま受けとめながら「Hさん(母の名前)が嫁に行ったら、Tさん(父の名 前)やきもちを焼くんでないの。きっとTさん、隣の席を空けて待っているよ・・・。」と伝えてみました。(父は15年前に亡くなっています。)夫である人 の名前を聞いても意に介さず、まぎれもなくその時の母は、父と巡り合う前の17、8の乙女でした。その瞬間私の中でとても不思議な感覚が起こりました。今 でもそれは『70数年の時間を超えた』としか言い様のない感覚です。少し勝ち気な乙女のHさんと、丸い縁の眼鏡をかけた、背の高いハンサムな青年のTさん が確かに目の前にいました。当然私はこの世に生まれていませんが。昭和10年代の若い二人の、生き生きとした姿が、浮かび上がりました。『Tさん・Hさ ん』と言葉にすることによって『父・母』ではなく、独り独りの人として出会えたのかも知れません。ずっと長い間、両親と共に暮らしてきて、いろいろあった 時々にも増して、こんなにも鮮明に、生々しく『出会えた!』と感じたのは、なんなのでしょうか。
そしてまた、その時 何気なく言った私の言葉に 自分自身が驚いています。
「隣の席を空けて待っているよ・・。」
この言葉は、遠く忘れていた日の言葉でした。
50年近く前のことと繋がっています。
私たち一家は、当時 父(Tさん)の両親と共に暮らしていた時期がありました。
祖母が先に亡くなり、数年後に祖父が亡くなりました。自宅で、嫁である母(Hさん)が祖父の最後を看取るべくお世話をしていました。その時のことを、祖父が亡くなって間もなくのことでしょうか、母が話してくれたことがあります。
老衰で、布団から起き上がることができなくなった祖父が母に「一人で死ぬのは怖いので一緒に付いて来てほしい。」と言ったとのこと。母は「子供達がまだま だ一人前になっていないので、一緒に行く訳にはいかないから先にいって席をとっておいて。」と。その時の母は40代後半でした。それで祖父が納得したか、 安心してあの世に行くことができたのかは分からないけれど、それ以来私の中には、どうも、自分が座る席があの世には何だか在りそうな、そんな気がしていま す。きっとこの世で縁のあった、見知った人々が、その座る席を空けて待っていてくれているに違いない、と心のどこかで思ったりもしています。
遠い日の出来事が、けして遠い過ぎ去ったことではなく、たった今 それが極当たり前のようにヒョイと言葉になって頭を出します。するとはなしに・・・。
母をまた我が家に連れて来れる日は、今度いつになるのでしょう。
2007.9.6.筆
若狭 恵美子