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2010/09/15

私にとどけられて

私にとどけられて

若狭 恵美子

本棚の中の一冊を久し振りに手にしました。松原泰道先生の『般若心経入門』です。随分前に購入したもので、全体に薄茶色掛かっています。読み進めるうちに、次の一文に立ち止ってしまいました。

『 何者ぞ 』 室生犀星 作詩


なにものか割れたり
わが内にありて閉じられしもの割れたり
かれら、みな声をあげて叫び出せり
桃の実のごときもの割られたり
星のごときもの光り出せり

『なにものか割れたり』のこの『言葉』が私に届けられた瞬間、湧き出し観えてくる姿があります。 『割れた』と “言葉になる”までの苦悩を伴った心の動きが、避けがたく観えるのです。 『なにものか割れたり』は、そう簡単にはやってこない。苦しみ、葛藤し、身動きすらできず、自分というものすら分からず、分かっていないということすら分からない世界を、ただグルグルと歩き回り、時にはうずくまり。しかし何とかしたい、進みたいと願って止まない人間の姿がそこに観えます。
出口も見えず「あの人が・・あの人が・・」と言っている自分や、思いどうりにならない自分から逃げ出すこともできず、考えや思惑等の力で、自分や他者を何とかしようとしても、その実は割れてはくれないのです。その葛藤の日々を「地獄」と言葉にしておられた人もいました。手を尽くし、悩み、何とか善い方法は ないかと様々な本を読み、皆必死です。それでも何も変わってくれない。割れてはくれない。

自分が、もう一人の自分と向かわざるを得ない・・・
いや どうしようもなく、自分なのです。

そのことを存分に味わった途端どうしてなのでしょう。
『なにものかが割れる 自分の内にあって、閉じられていたものが割れる』
それも突然に・・・あんなに考えても、もうどうにもこうにもならなかったのに。

そう 桃の実のごとく 自分の中にあって大きく固く占めていたもの が割れ
そう 自分の中にある 自分色の光が、輝き出す。

「何か手立てを考えて、解決しても、また別なことに形を変えて、悩みがやって来るのです。」 「こんな自分では駄目なんです。」「自分ときちんと向き合っていきたい。 」
「自分がもっと大きな人間にならなくちゃ。 」輝きは穏やかさと力強いエネルギーを感じさせながら、伝わってきます。次々と避けがたく我が身にやってくる苦しみや悩みが、自分自身を前進させる力にも、人間として大きくなっていく力にもなると、つくづくと理解できる時でもあります。

人間関係の中で様々な葛藤が生まれ出で、また一方の人間関係の中で、変化し続ける自分を『在るがままに観る』がなされていく、不思議を思います。

それにしても、自分自身と対峙し、在るがまま自分を受け入れていくことが、どうしてこんなにも難しいのでしょうか。

22年9月6日 筆