『カウンセリングの目的・目標』について
カウンセリングの目的・目標について自分の考えを述べる前に、自分がこの勉強を始める前に持っていた、「カウンセリング」についてのイメージについて話したいと思います。
私が小・中・高校生の時には、「カウンセリング」なんていう言葉はあまり聞いたこともありませんでした。 聞いたことがあったとしても、あまり身近な言葉ではなかったので、あまり印象に残らなかったのだと思います。しかし、その後いつの間にか「カウンセリング」、「カウンセラー」という言葉は日常でもよく耳に入る言葉の一つになっていました。 22歳の時に、作業療法士の養成校に入学したときには、学校に「スクールカウンセラー」という人がいましたし、ショッキングな事件のニュースなどでは、事件の被害者やその家族に対して「カウンセラーが心のケアにあたっている」という言葉がテレビから頻繁に流れてくるようになりました。 一昔前と比べると、社会的な流れの中で「カウンセリング」の必要性が高まり、人の目に触れる機会が増えて認知度も上がっていったのだと思います。
しかし、「カウンセリング」の認知度が高まっていく中で自分が、カウンセリングについて理解を深めていけたかというと、全然そんなことはありませんでした。 自分が「カウンセリング」の知識を何で得ていたかというと、主にテレビドラマや小説からでした。 テレビドラマなどでは、心に傷を負った登場人物がカウンセラーの所に通っていたり、殺人事件に対して、心理学者やカウンセラーが犯人の深層心理を分析して解決したりしていました。 ドラマの中では、「カウンセリング」というキーワードは、物語をいっそうドラマチックにするための引き立て役になっていました。 これは余談になるかもしれませんが、「カウンセリング」、「深層心理」、「トラウマ」、「フロイト」、「ユング」などの、主に心理学領域でよく耳にする言葉や人物名は私の中で一緒くたになって分類されていたのです。 これらの言葉に対して私は、「暗くて深くてちょっと恐ろしい」、「痛い」、「神秘的」というイメージを持っていました。 いかにテレビや小説の影響が強かったかが窺えます。
カウンセリング学習センターで勉強を始めるまで、私のイメージの中で「カウンセリング」とは、「分析・診断すること」、「治療すること」でした。 カウンセリングは心を病んだ人に必要なものであって、健康な自分には必要の無いものと思っていました。 ですから、初めて学習会に参加したときには、一緒に勉強会に参加している人たちから自分も観察され分析されるかもしれないと思ってずいぶん緊張しました。 こうしたイメージが学習会で勉強を進めるうちに、自分の中でどのように変わっていったのかというところが、このレポートの主題である「カウンセリングの目的・目標」に繋がってくるのではないかと思います。
「カウンセリング」に対して、私は「診断・治療」という一方向的なものをイメージしていました。 ですから、勉強会で習った「“カウンセリング”とは治療手段や技術、または人生相談などではなく、“私”が、“あなた”が、成長・学習していくための“人間関係そのもの”である」という言葉は、私にとってとてもインパクトがありました。 この事を勉強してとてもすっきりとした気持ちになったのです。 カウンセリングは心を病んだ人には必要だが、私には必要の無いものでした。 自分が観察され、診断され、治療されることに強い抵抗感を持っていました。自分が外部から操作されるのは嫌だからです。しかし一方で私は、カウンセリングを学ぶことで人を外側から操作する技術を身につけようとしていたのです。 これはひどい矛盾です。 自分が苦痛と感じることを、一方では治療だからと言って人に押し付けるなんて全くナンセンスです。 そんなことで、人の悩みが解決するはずはありません。 勉強を始める前は、こうした自分の思いがそれほど明確になっていなかったので、カウンセリングに対して言葉に表せない、モヤモヤとした消極的な思いを持っ ていました。
こうした中で勉強会に参加して、カウンセリングとは「人間関係そのもの」という言葉を聴いて、私はとても安心しました。 一方的に与え、与えられるものではなく、あなたと私の関係の中で、気付いて、感じて、成長していく。 そういうものならば、自分は受け入れられるし、やっていきたいと思うからです。
「カウンセリングの目的・目標とは」と書かれている言葉は、教科書を開けばすぐに見つけられるでしょうし、書くのは簡単です。しかし、それをしただけでは私は、カウンセリングを学んでいくためのスタートラインに立つことはできなかったでしょう。 今にして思えば、学習会とそれに参加している人たちとの関係の中で、自分の思いに気付き明確化され、そこから一歩進むというカウンセリングの過程を私自身が体験したことで、スタートラインに立てたのではないかと思います。 これからも、たくさんの人との関わりの中で、気付きあい、感じあいながら心が動いていく勉強をしていきたいと思っています。
Y・S