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2013/07/09

カウンセリング学習会にてY先生と二人

最近ずっと私の中で渦巻いていた想いに、ある方からきっかけの言葉をいただいたことがあり、私はそのことをY先生に話さずにはいられませんでした。

今日、仕事が終わり、娘が6年間お世話になった学童保育へ顔を出してみました。

先日、ある指導員の先生から近所の子どものつてで「手作り味噌」をいただいていたので、お礼を伝えるつもりでした。

正直、少し面倒くさいなという思いもありましたが、なんだか行ったほうがいいような気がしましたので、行くことにしました。

久しぶりに学童の玄関をのぞくと、変わらない風景に懐かしさと甘えたいような想いがこみ上げてきました。

中には、数人の子どもたちと指導員の先生がお一人いらっしゃいました。お味噌を作っていただいた方ではなく、私の中で一番指導力があると絶大な信頼を持っている先生(もちろん他の指導員の方も凄い方たちです)、Hちゃんでした。

Hちゃんは、34年生の女の子たちと特大トランプゲームをしていました。

「お母さん元気だったかい!」

とお腹から発する力強い声に、それまでピンと張っていた何かが一瞬で緩むような感じがしました。

私は、この間のすべてを吐き出したい想いにかられましたが、指導中のHちゃんを独占する訳にいかないという想いと私の中の迷いもあり、かろうじて一般的な問題を伝えるように答えました。

「元気だよー。まあ、けど今娘のNが大変なことになっていてさ。なんていうか、受験生としてっていうか、いろいろあったから不安だよー。」と、なんとなく伝えてみました。

すると、「お母さん、大丈夫だって!今までやってこなかったってことはN自身が一番よく解ってるさ。また丁度この時期って、男の子は伸びるんだけど、女の 子はぐっと落ち込むものなんだ。そしてNは、今自分であきらめているところもあるからさ。

そんな時にまわりでヤイヤイ言っても勉強なんて身につかんよ。ただ見ているだけでいいんだよ!

高校は、3年間を過ごすところだからね。無理して背伸びするより、どこでもいいから本人が楽にいれて頑張れるところのほうが3年後に伸びる子は伸びるから。そう思っていないと親子でつぶれちゃうよ!」と、女子たちとゲームをしながら、私にそう伝えてくれました。

Hちゃんのこの言葉にふわっと安堵感が湧いてきて、「うん。うん。そうだね。本当につぶれそうだったかも。」としか言えませんでした。

「お母さん。そうだよ。ただ、おいしいご飯食わして、早く寝かせて、あとはしっかり見ててやんな!」

私は、目に涙をためながら「ありがとう!Hちゃんに会えて良かったよ!なんだか。少し元気になったわ。」と心から伝えました。

「元気になったなら、良かったよ!ほれ、そこのかぼちゃでも食べてきな!もっと元気になるよ。」

私は、子どもたちのおやつである手作りのスイートかぼちゃをほんの少し頂戴しました。

かぼちゃは、そんなに好きなほうではないのですが、手作りの甘さが口の中いっぱいに広がって、本当に美味しかったです。

美味しいものを食べるって、本当に元気になるんだなと、実感してしまいました。

自宅への帰り道、車の中で「しっかり見てやんな。」の言葉が胸に突き刺さっていました。私は今まで、どれだけNのことを見てこれただろうか…。Nに「ごめんね。」とあやまりたい気持ちになりました。

その後で、この数年間を思い返し、ずっと見てきたかどうか自信はないけど、Nが私にくれたいろんな出来事(主に私にとって不快な出来事・感情)のたびに、確かに普段よりもNのことを意識し、感じようとしていた私がいたということに気付きました。

それだけ、Nが私に見させてくれる機会をくれていたことに「ありがとう。」という想いになりました。なぜなら、もし何もなければNを感じてきたという実感が持てなかったかもしれないからです。

私の話をY先生は、しっかりと聴いてくださり、話しながら私は涙が自然とこぼれていました。

「そんなになるまで、不安に感じていらしたのですね。」「良かったですね。現実に引き戻させてくれる言葉をいただけて。」

本当にそう想いました。それまで自分では意識しているつもりではなかったのですが、確かに、この一週間ほど何も手につかず、何かをしたいとも思えず、何か に感動することもありませんでした。

Nの成績を見た時、私の想像を超える低さに衝撃を受けていたのです。それまで、公立でもあそこならとか、最悪私立でもしかたないなとか、私が描いていた青写真に見事にどれもかすらないような気がしたのです。あとはもう、公立も私立もダメなら、定時制しかないじゃない!でも、きっとうまく続かないはずだから、Nの人生はダメになる!と悲観的になり不安と恐怖でいっぱいでした。

本当に身勝手で、Nにとても失礼な妄想でした。現実ではない勝手な私の想像でした。この私の勝手な妄想で私自身と、もしかしたらNまでもつぶしてしまうかもしれなかったと思うと、ゾッとしました。

勝手な想いに囚われることはよくあることだと想います。でも、こうやって現実にひき戻るということは、とても大切なことだと想いました。

実は、Y先生と話していながら、整理されつつも現実と想いの中でまだ少し混乱している私がいたんだなと文章にしながら思い出されました。こうして文章に起こすことにより、新たに感じることや見えてくることもあるのだなと思い、またその日から動いて成長している自分を感じることができました。

このY先生と二人の時間で、もう一つ、私の持つ母親像というものが浮き上がってきたので、ここに文章にしたいと思います。

私のもつ不安や恐怖についての話をしていると、母親としてこんな私ではNに申し訳ないという想いが口をついて出てきました。

「Sさんのもつ、母親って何かあるのですか?」

Y先生の問いかけに、「母親だったら、強くて、ゆるがない、ぶれない何かを持っている感じがします。丁度、私が子供のころの母がそうでした。強くて、どんな時も私のことをしっかりと守ってくれていた。あこがれてもいるけど、私にはなれない。」

私の言葉を受けてY先生が「子どもの頃の母親って、すごく影響ありますよね。今のお母さんもそんな風にSさんのなかにいて見えているのですか?」と、尋ねられました。

母に想いをはせてお話ししていたのですが、『今のお母さん』という言葉をいただいて、「今の母は、そのままの母として受け入れています。人間らしい、愛しいと感じる母です。でも、ここでいう私がいつも感じている母親(像)というものは、過去の母です。」

いつのまにか私は、過去の私がイメージした、私が感じた私の中の母と自分を比べていたことに気付きました。

「過去のお母さんを今まで、一緒に連れてきていたのですね。」

本当に。ずいぶん長いこと一緒にいたものです。

今現在そこにいる母と比べているのではなく、私が勝手に作り上げている過去の母でした。しかも、過去の母も決して私が過ごしてきた母そのものではなかったのです。

時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりと過去の母を過去へ帰していけたらと想っています。

そんな話をしているうちに、だんだん自分自身に現実味を感じてきて、体の中から力が湧きあがってくるようになりました。その瞬間、目の前にある水色のハサミを触ってみたくなったので、手に取ってみました。現実に帰ってきた感じです。

そのことをY先生にお伝えしたところ、「どこに行かれていたのでしょうね。ちゃんと帰ってきてくれて良かったです。お帰りなさい。」と言ってくれました。

「想いに囚われていて、日常生活に実感がなかったのかもしれません。これから、しっかりと日常を過ごせそうです。ただ、またどこかへ行ってしまうかもしれませんけど…。」

「そうなったら、また帰ってくればいいだけですよ。どんどんその感覚が短くなっていけるといいですね。」と─そんなやりとりをしていると、

「Sさん、今感じたんですけど。その体に湧きあがってくるとか、日常をしっかり生きていくっていうところが、Sさんのいう母親としての強さとか、安心感ということなんじゃないかなと感じるのですが。」と言葉が返ってきました。

あっ!Y先生の言葉に、常に日々を力強く生きていたように見えていた過去の私の母が浮かんできました。

母にとって、日常を普通に過ごしてきたであろうその姿が浮かんできたのです。

母は、私に「母親というは…」ということを伝えようとして、私と接してきたかどうかわかりません。でも、現実をしっかり生きている姿が私に母としての強さや安心感を与えてくれていたのかもしれません。

「Nさんには、Nさんの母親像がきっとあるでしょうね。」

本当にそうですね。私は、私のもつ母親像を私としてNに見せたかったし、私と同じように強さや安心感が母親というものだと思ってほしかったのです。

母も私もNもまったく違う人間なのに。

どうやら、また何やら一人でいろいろとやっていたらしい自分がなんというか、人間らしいと思いました。

それにしても本当に疲れました。

頭も体も疲れを目いっぱい感じてきて、ぐったりです。これから、少し考えることを休憩してみるつもりでいます。


≪S≫