カウンセリング場面における指示・助言において、あなたはどう考えますか。
この、指示・助言という言葉を聞くと、基礎学習で先生から頂いた『聞いてください』のプリントを思い出します。
そのプリントの言葉の中に、私が最も気になった言葉がありました。
“私の話を聞いてください、と頼むとあなたは助言を始めます。
私はそんな事を望んではいないのです。“
この言葉は、カウンセリングの学びを受ける前から、私自身心の底から思っていた願いそのものでした。
自分が嫌いで嫌いで仕方が無く自殺願望を胸に抱え込みその重苦しい思いを、理解はされなくても良い。私の思いを肯定して只聞いてくれるだけでいい。そう思っても、その思いはそんな軽々しく受け止めては貰えなく寧ろ否定されて、相談した人達みんながみんな、“生きていれば良いことがあるよ”“世の中には生きたくても生きられない人が沢山いるのに贅沢だ”とか、似たような綺麗な言葉の形を成した鋭利なナイフで私の心を切り刻んでいきました。
中には“どうせ口だけなんでしょ、出来るものならやってみなさい”と言葉を投げられ、その言葉を境に私の思ってることは変な事なんだ、いくら自分を自分で殺したくてもこんな思いを抱える事、ましてや人に思いを語る事は許されない事だと学び、その日以降、私は人に自分の思いを語る事に恐怖を感じ、困難になってしまいました。
カウンセリングにおいての指示や助言は、下手をすれば、クライエントの思いを傷つける鋭利な言葉のナイフになるんだと、自身の経験を踏まえて強く感じます。
初めて若狭先生にカウンセリングを受けた時、私の思いを初めてそのまま受け止めてくれた事を思い出します。
その日以降、凄く不思議な感覚で、暫くあれは夢だったのではないか。と錯覚してしまう程、普段の日常生活ではやはり私の思いを聞いて貰えなく、指示や助言をされる事ばかりでした。
日常の社会では、常に指示や助言で溢れ、皆もその事が正しいんだと思っている事、でも働く事に関しては指示と助言は必要不可欠な事と強く思います。
ですが、カウンセリングにおいては、こうすればいい、ああすればいいよという指示や助言は、全く必要の無い事、寧ろクライエント の思いを踏みにじる行為になりうる事だと私は感じます。
お話を聴かせて頂くという事はその人のそのままの心の世界をそのまんま沿わせて頂くという事を学びました。私自身、自分の思いを 指示や助言という行為にて自分の世界をないがしろにされたという思いを抱いた経験をさせて貰ったので、
その経験を活かして、クライエントの言葉や思いを大切にそのまま聴かせて頂けるカウンセリングが出来るように、これからも学びを続けて行きたいと思います。
G・I