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2012/10/15

基礎学習テーマから

あなたにとって「人間とはどのようなもの」と考えますか

 

はじめに

「人間とはどのようなもの」か? 昔々から多くの賢人たちが挑んできたこの問いに向かい、このちっぽけな私が、どんな側面に光をあてることができるのだろう?と途方に暮れた。 人間の持つ明るい暗い、善悪などの相反する部分や、無数の思考思索がある中で、私自身のどのような視点で人間について考える事ができるのか? 答えは多数あるものの、どれも誰かの言葉であって自分のものではないし、恐れ多くて、考えがなかなかまとまらない。
しかし、少し視点を変えて、私がどのような部分を信じて生きていきたいのか、謙虚にそのことだけを考えてみることにした。そう思った時、ふと、本講座の中で学んだ言葉が浮かんだ。

 

『人間は誰でも魂(精神・心)の働きとして、その人としての成長力を備えている』
(札幌カウンセリング学習センター カウンセリング資料No.2 より)

 

なんと希望のある学びだったか。どんな人もどんな時も、人間には成長力を秘めていると信じる事でいろんな事が救われる。たとえ仮説であっても、このことを基盤に考えていく事は誰にとってもプラスになると感じた。
これについて自分なりに改めて振り返ると同時にレポートの主題としていきたいと思う。

 
『人間とはどのようなものか

 

人間には心があり、生きていく事に大きく関わっているということ。これについては疑問もない事実であろう。赤ちゃんが生まれ、成長していく時に体の発達とともに心もどんどん育っていく。病院ではほとんど同じに見えた生まれたての赤ちゃんたちが、身体的精神的にそれぞれが特徴を身につけながら成長していくのは私も目の当たりにしてきた。病気や怪我を乗り越え、泣いたり笑ったりを繰り返しながら、生命力豊かに育っていく。まだ視力の定まらない目を一生懸命、光のさす方向へ向ける様子をみて、人間の本能的な部分を実感した。

 

動き出すようになってくると赤ちゃんは、自分の興味の赴くままに、どんどん行動していく。五感をフルに使って、身の回りの物から少しずつ遠くの対象へ。危ない事もたくさんある。一番確かな口の感覚で調べてみようとするので何でも口に入れる。道にだって飛び出す。危険な感覚が分かっていないから、大人は教えようとする。子供の身を守るためには当たり前だ。
子供の衛生栄養管理と物理的な危険から守る。これは大人の義務だ。これが確保されていれば、この時期の子供に、継続する悩みはそんなにないと思う。

 

しかし、だんだん子供が育ってくると、それだけではなくなってくる。親、友達、先生、、、人と人との関係ができたり、それを認識していくことで子供の社会が出来上がってくると、子供の心がその関係に大きく関わってくる。好き嫌いはもちろんのこと、同じ体験をしても感じ方が違う、我慢できる事も違う。その子その子の感性がぶつかりはじめると、トラブルも増えてくる。

 

さぁ、そこで大人の出番、とばかりに子供の世界に口を出していきたくなるのは親の心情。しかし、その大人たちも偉そうな事をいえたものではない。自分独自の倫理感、価値観、世間一般の常識と思い込んでいるものを振りかざし、自分の子供だけでなく、ほかの子供、親、先生、子供を取り巻く人間関係に切り込んでいく。もう大変だ。子供は自分の感性を信じられなくなり、同じようなトラブルに際しても自分で処理できなくなってしまうだろう。子供たちが本来持っている光射する方向へ顔を向けられる能力を奪いかねない。

 

子供たちの心に、良い悪いの判断は最初はないのだろうと思う。赤ちゃんの時同様に、心の赴くままに行動しているだけだ。善悪を植え付けるのは大人だ。
しかし、子供の心が本当に育っていくのは、子供の社会の中で自分自身が学んでいく道徳や、、本やテレビなどを超えた、大きな成長力をベースにしているのだと思う。子供にとって、心で感じる事は、その子自身。その子そのもの、その子の成長そのものなのだ。そこに良い悪いなどない。

 

家庭内の問題、いじめの問題など、周囲の大人が手助けできる事は多いと思うし、しなくてはいけない。そしてそれ以上に、子供たちの心を信じ、感じた事を受け止めていく事。これは大人にとっての課題であり、義務ではないだろうか。心が感じることは、大きくても小さくても成長そのものなのだから。

 
そして、子供たちにとっての事は大人だって同じだ。同じ人間なのだから。私自身、いつから大人になったのか覚えていないが、子供の頃は無意識に成長してきたし、意識するようになってからは、善く生きたいと願った。
善くとはどんなことか?と悶々とした時期もあった。善く生きていないのではないかと、それに縛られ悩む事も多かったが、人間として善く生きるとは、その人自身の力を発揮することも大きな一つの項目だと思う。それが社会に役立つ事であればなお良い事だが、それ以前に、その人その人が、自分の持ち味を十分に活かす。その人がその人としてある姿を全うする。人間として善く生きるとはこのような事だと漠然と思った。
そして、本講座で学んだ、『人間は誰もが魂(精神・心)の働きとして、その人としての成長力を備えている』で具体的な言葉になった。人間は本来、赤ちゃんの頃からそのような能力を備えもっているのだろうと、自分自身の経験や母として子供を育てている経験を通して実感するところでもある。何歳になっても成長しいく力があるのだと信じていたい。
子供が成長すると同時に、私たち親も成長していかなくては。

 

人間とは、心の働きとしての成長力を備え、その人自身の持つ力を発揮する時に成長するのであろう。その成長の仕方や方向性は人それぞれである。これがこのレポートに際しての私自身の結論である。

 
終わりに

 

子供を通して感じた事をレポートにまとめてみたが、自分自身、そう思っていても子育てで実践できているのかは残念ながら別物である。日々、子供たちとの葛藤の繰り返し。しかし、実存は本質に先立つ。ハサミの有用性より、ハサミそのもののほうに意義があるのだ。それを信じて邁進するのみ。人間は成長力を備えているのだし。

 

(K)