カウンセリングの目的・目標について
はじめに
私は、「ほかの誰でもない、たった一人の素晴らしい命と心を持った自分の本来の姿に気づき自信を持って、その人らしく生きていくお手伝いをする、これがカウンセリングの最終的な目的であろうと考える。」と述べた。これは変わらなく心に念じていることだが、今、時間を少し経て考えてみると、クライエントが『おのずからなおる』『問題に取り組むようになれる』よう援助するということがカウンセリングの目指す目的なのだと言葉を付け加えたい。(「カウンセリング概論」P2参照 )
一見クライエントの抱えている問題解決にとってはプロセスのように思える事であるが、カウンセリングの目的は、相談をうけて助言や激励などで問題を具体的に解決することではない。「カウンセリング入門」P25にこのような文章がある。
「人は自分が変わってしまったあとで、変わった自分、前の自分、前と違う自分の姿を認知するらしい。」
なるほど、変わってしまった後でしか変化を認識できないのだ。クライエントが変わった後ではじめて、変化そのものを感じる事ができる。この事から私は、変化をもたらした後ではなく、変化そのもの、プロセスそのものを大事にすることがカウンセリングの目標であろうと考えた。問題を解決するであろう未来でもな く、問題が起こった過去でもない、今のその人と向き合い、その人の今の話を聴く事がまずもっての目標なのだ。その目標達成の積み重ねこそがカウンセリングの目的につながるはずだ。
では、そのためには、カウンセラーの立場として、どのような在り方が望ましいのか? 具体的にはどのような聴き方が望ましいのか、考えてみたいと思う。
どのように聴くのが望ましいか
悩みを持っている人を前にした時、聞く(ここではあえて聞くと記す)側としてはどうしても、その悩みを解決しようとしがちである。感情に訴えられ、同情的になったり、理論に走りアドバイスをしようとしたり、自分の経験で足りない時は世間一般の常識にあてはめてもっともらしく語ろうとしてしまう。その悩み自体を解決してあげたい、という、なんともおこがましい態度にでてしまうのだ。あくまで、「あげたい」という姿勢。このような場合、相談を聞く自分の側としては、前提として、悩みは不健全なもので早く健全な状態になることがあなたにとって善い事だ、という決めつけがあるように思われる。もしくは考え方の方向が間違っているので、修正すれば悩みも なくなるとか、または、なぐさめの言葉で彼らが癒されたらいいなという浅い優しさ。
母親として子供の話に耳を傾ける事の多い私は、特に、さまざまな先回りの心配から、ついつい子どもにアドバイスを与えがちである。その結果、子どもが一生懸命自分で考え、解決方法を探っている最中に水をさす事になってしまう。せっかく人として成長しようとしているのに、そのチャンスを奪ってしまうのだ。
これまでのレポートでも考察してきたとおり、「人は誰でもが魂の働きとして、その人としての成長力を備えている」(カウンセリング紙資料No.2より)のだから、それが十分発揮できるよう援助的関係を持つ事以上に聴く側の私にとって大事な事はないのだ。というより、それ以外、できないはずだ。そのためには、カウンセラーとして、日常ではお話を聴かせていただく側として、さらには子どもに向き合う母親として、前述のような上から下への指導的態度や、技術な どは必要ない。今、そこに在る人の心にじっくり耳を傾けることこそが、相互関係を作り出す基本であろう。ではそのためにはどんな態度が望ましいのか?クライエント、話をしてくださる相手、子どもたちはどんな相手に心を開き、よりよい関係を築いていけるのだろうか?
私は、かつて、カウンセラーになるには、感情の起伏のない人、もしくは自らの感情に蓋をして冷静に判断対処できる人にならなくてはいけないと思っていた。 悩みを話す相手に、「カウンセラー自身の気持ちは必要ない」どころではなく、カウンセラーの感情のことすら頭に浮かばなかった。しかし、今はこう思う。カウンセラーの心なくして、相手の話を聴かせていただくことは不可能だと。クライエントの心に向かい合い、声を聴くということには批判も同情も指導も必要ない。その方のあるがままを受容するのみ。受容するのは何か?カウンセラーの心だ。カウンセラーの心を受け止めるのは誰だ?そう、カウンセラー自身でしかない。クライエントが自分でしか成長できないように、カウンセラーもまた自分の感情を受け入れ認める事ができるのは自分自身でしかない。そしてそのようなカウンセラーの態度があって初めて、信頼に足る関係の一歩を踏み出せるのだと思う。
「カウンセラーの誠実さに基礎づけられて、クライエントも自分の感情に対して誠実に直面しうる」(カウンセリング入門 P44) というのはそういう事なのだろう。
このことを、母親と子供の関係で考えてみると、自分の感情に否定的だったり隠したり無感動の母親に、子どもが自分の気持ちを語るとは到底思えない。いろんな気持ちを豊かに持ち、それを客観的に認め楽しむくらいの余裕がある母親だと、子どもは安心して、自分が醜いと思ったり否定的に感じる気持ちの動きを素直に見せることができるのだろう。そして気持ちに素直になって受け入れてもらえた時、子どもたちは大きく成長できると信じる。
その際重要なのは、母の、聴く側の心に愛があることだと思う。カウンセラーもクライエントも母親も子どもも、自分の中になんらかのものさしがある。自分のものさしに合わないと不安になり否定したくなり批判したりするだろう。このものさしはなくなるものではない。しかし、相手をあるがまま受け入れ、心から相手と自分の成長を願う愛があれば、そんなちっぽけなものさしなど使う必要はないのだ。必要なのは、愛を持ってただひたすらに聴く事。相手を尊重し、今、その場にいる人を理解したいと思う気持ち。子どもにだってそうだ。母親としてできる事は、子どものあるがままを受け止め、包み込む愛を持つことしかない。一見単なるプロセスに見えるこのことが、結果、子どもにとっての真の成長につながるのだろう。
そう考えると、善きカウンセラー、善き母親になりたいと願うなら、カウンセリングや子育てのテクニックを身につける事ではなく、自分と他者を受け入れ、広い愛を持てるように心を磨く事が重要なのだと思う。抽象的だが、人への愛が、具体的な問題解決へとつながるのだと、本講座を受講しながら確信している。自分を認め、愛を持って聴かせていただくという在り方に少しでも近づきたいと願っている。
おわりに
「自分を大切にできない人は他人も大切にできない」と、自己啓発本によく書かれていて、私にはすんなり受け入れる事ができなかった。自分を先に大切にするという感覚はおかしくないかと疑問を持っていたのだ。自分勝手な態度ではないかと。しかし、自分の心の動きを大事にすることなしに、人の気持ちを理解できるはずはないという意味として考えればもっともな言葉であった。子どもと向き合う時も、自分の気持ちを隠したり否定するから話はややこしくなるのだ。子どもにこうやってほしい、こうあってほしいと願っているのは母親自身でしかないのに、あなたのためだから、世間ではこうだから、などと理屈をつける。子どもに響くはずもない。そうではなく、自分はこう感じ考えているのだ、あなたはどう思うか?と問う方がよっぽど伝わる。シンプルイズベスト。自分の気持ちを認めるのは時に怖く、逃げ出したくなることもあるが、そんな時は独りよがりにならない愛に立ち返ろうと思う。そして、その愛がもっともっと広く深く自分の中で熟成されますように。