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2020/01/15

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 1

「ひとりごとより、ふたりごと」

 

今回から文章を紹介させていただく事になりました、成田智弘と申します。

私自身、この学習センターで平成13年から現在までカウンセリングの学習を続けているメンバーの一人です。

代表の若狭先生から文章を紹介する機会をいただけた事に感謝しております。何に感謝か?というと、文章を書くという役割を通して新たな自分の一面に気づけるきっかけになる事に繋がっていくのではないか?という思いからの感謝です。

 

今回初めてという事で何を書こうか?という思いでいましたが、平日の朝に私が見ている連続テレビ小説の中から感じた事を書こうというところに落ち着いたため、その事を書いてみようと思います。

 

小説の中に陶芸家を目指す青年が出て来るのですが、その青年が自ら作りあげた陶器を窯に入れて窯の蓋をしめた後に言う言葉がありました。聞いてから時間も経過しているし、青年のセリフが私なりの受け取りに変換されてしまっているところもありますが、そのセリフを書いてみたいと思います。

 

「どれだけ自分が作品に手をかけても、窯に入れてしまったら、あとはどう出来上がるかはやってみなければわからない・・・不安を楽しみに変えて・・・運を天に任せて・・・」

 

この言葉を聞いた時、私がやっているカウンセリングに通じるものを感じました。

私たちが行うカウンセリングも陶芸家の青年が陶器に向き合う様に、私の目の前に

居る「ひと」に向き合っていきます。カウンセリングの面接中は、クライエントさんと一緒に時間を共にしているため、クライエントさんの心の動き等を共に共有する事が出来る環境です。しかしカウンセリング面接が終了すると、クライエントさんも陶芸の陶器と同じ様に日常社会の中では

 

「どれだけ自分が手をかけても、窯に入れてしまったら、あとはどう出来上がるかはやってみなければわからない・・・不安を楽しみに変えて・・・運を天に任せて・・・」

 

という感覚を感じます。人間の社会が陶器でいうところの窯に似ている気がします。いざ陶芸家の手、カウンセラーとクライエントさんが共にする環境から離れた瞬間に、

 

「どれだけ自分が手をかけても、窯に入れてしまったら、あとはどう出来上がるかはやってみなければわからない・・・不安を楽しみに変えて・・・運を天に任せて・・・」

という感覚に近いものを感じてカウンセリングを行っています。実際、どうにもならないという感覚で苦しんでいたクライエントさんが、次の週には「ケロっ」として元気を取り戻していたり、数日前までは元気な姿を見せていたクライエントさんが、今日出会ったら「そこに座っている事がやっと」という姿になっていたりと、まさに運を天に任せるしかないという感覚です。陶器もひとも、最後はお互いに見守ったり、待っていたりという事しかできないということでしょうか。