生きていることの仮説について
この度の学習会で『仮説』について話し合う機会がありました。
仮説‥‥仮の考え方、まだ実証されていない科学上の理論。物事を考える際最も確からしいと考えられる仮の考え方。
『人間とはどのようなものなのか』等と言う大きな理論の仮説はともかくとして、『自分の考えはもしかして仮説?!』と、日常における自身の考え方に置き換えてみると、分かりやすいのではないでしょうか。
一つの物事・起きた物事をありとあらゆる方向から観ることが可能ですが、自分が見えている処は、ほんの一部分でしかありません。本を読んだり、何かとても良いと思われる話を聞いたり、体験したりすると、そのことが正しいことであり絶対的なことになりがちです。常識や社会通念と言われていることも仮説であるにもかかわらず、変化しない事として固定され『そうあるべき』と思い込んでいます。
生命体としての私達の肉体と思考も、自分の人生そのものも変化し続けているのが事実ですが、日々変化している『仮説の事実』に意識を向けることは、とても難しいことです。というより「考えたこともなかった」が、より言い得ているのかもしれません。
過去の事実(と思い込んでいる自分の事実)や周りに起きた事象は何も変わらないのに、もっとピッタリの言葉がやって来ると前回の仮説は新しい仮説にとって変わります。「うーん‥‥」「あっ 何か気が付いた…」「そうだったのか…」。私達は『今その様である』けれど、もう少し柔軟に全体を俯瞰し変化していくプロセスを意識に昇らせると、人生観も違ってきます。今真実だと思い込んで居るこだわり、苦しんでいる考え方が『自分で創りあげている仮説』なのだと理解すると、自分次第でいかようにも変えることができるのだと、何かしら希望がもてる感じがします。
どの様に変わっていきたいのか‥‥。考えているだけでは仮説は変わりません。誰も与えてはくれません。自分で前を観ながら歩かなくっちゃ‥‥。そのために『目』は顔の前に並んでついています。
(若) 令和6年9月28日 筆