豊 か な 人 生
先日ごく親しくしていただいている同年代の友人からメールが届きました。札幌市内の大学病院での講義を終えられたとのことです。講義の締めくくりとして伝えたご自身の強い思いを、私にも伝えて下さったのだと理解しました。日々の体験を基に、心からの言葉と感じられ、彼女のお姿が一層はっきりと観えるようです。
そのメールには、人としての生き方に触れた一文がありました。
今現在の世界の流れを踏まえて『持続可能なキャリア』 学生時代から様々な学ぶを学び、自分事として自分の生き方に活かし主体的に創りあげ一人一人が豊かな人生を作り上げて戴きたい。(一部抜粋)
お互いに大きな病気を一年半程前に体験しました。そこを乗り越え、なおかつ後期高齢者といわれる年齢での仕事(活動)です。友人も私も『これで良し』にならず、『もう少し、もう少し』と自分の学びを求めながら、伝え続けています。専門分野が違っているのですが『お一人お一人に添って、関係感情に触れながら、分かち合いながら…』と人間理解と人間尊重が、共にベースにある感じがしています。私は共通した『生命体の働きに触れている歩み』と理解しています。なかなかお目にかかれませんが、ご活躍のご様子に安堵しながら、刺激し合える関係に心地良さを感じつつ、感謝しています。
少々体に不具合が…等とよぎることがあります。世の中や環境の変化になかなかついていけない感もありますが、あえて「取り残されるという適応の仕方もありますよ。これも前進。」と開き直っているのか、流しているのか…。 自分に目を向けると、他者との出会いを通して「まだまだ己に出会う必要があるよ」と教えてくれているように思います。
戴いたメールが「今 私はここまでやってきましたよ。」と言葉になり「私にとっての豊かな人生って」と改めて思い巡らせるきっかけとなっています。
(若) 2025.1.28. 筆