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2025/03/01

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 124

豊かな人生 パート2

 

━ 前省略 ━ 戴いたメールが「今 私はここまでやってきましたよ。」と言葉になり「私にとっての豊かな人生って」と改めて思い巡らせるきっかけとなっています。━ 《 2月1日ブログ掲載一部抜粋 》

『豊かな人生』と題して先月のブログに書かせていただきました。今回はその続きを書きます。 

 

『豊かな人生』と、その言葉に触れ過ぎ去った日々に思いを巡らせる私です。

そう言えば小学校高学年の頃『独立』という言葉が好きでした。父親の仕事の都合で何カ所も転校し多くの人々と出会いながら、大半は記憶に残っていません。しかし間違いなく過ごしてきた日々です。

大人になって『他の人ができるのに自分ができないのは,自分の努力が足りないから』と考えていて『努力』と言う言葉が好きでした。いずれの言葉も今は意識に昇ることはほとんどありませんが、その言葉の持つ働きが若い頃から歩んできた道と、何だか繋がっているように思います。思い出したくもない出来事、目の前に有ることも意識することなく沢山の通り過ぎたであろう出来事等が、今こうして意識を向けると次々にやって来ます。

 

若かった頃の『豊かな人生』の枠組みは、今よりもずっと狭いものでした。自分にとって心地の良い出来事 望んでいる状態や立場 健康であること 経済的に安定していること等、その基準といえば考え方や目に見える物や事柄であり、他者との比較や社会の目や常識に合わせたものが多かったように思います。

 

受け容れ難く葛藤した日々、困難や思い通りにならなかった日々、悲しかった日々、勿論自分なりの努力もして、怠けもして、嬉しかった自分もいます。他者との関係の中で、感情と思考のバランスに葛藤しながらも前に進んでいくことを体験し続けてきました。そのことを通し喜怒哀楽全ての感情が備わっていて『感情豊か』と学び得てきました。今現在も思う通りにいかない人間関係があったり、小さな不満も時々顔を出します。いいかっこもつけたい半面、知力も行動力も心の起伏も年々少なくなってきて「しようが無いのも人間らしい」と思えるようになってきました。

悩み葛藤の中から何かに気付き自分を越えていかれる他者の姿に感動する私のこころ、至らなさを至らなさとして認める力を持てていることも間違いなく私自身の豊かなこころ。

 

私の周りにはご自分の人生に真摯に立ち向かいつつ成長を続けている仲間が大勢居り、時間を共有できる幸せをいただいています。切なくも柔らかな心の支えになっています。有り難いことです。      

 

『全部ぜ〜んぶ私の世界 豊かな人生』  このまんまの自分です。 

 

(若) 2025年 2月25日 筆