「深み・味わい」
昨日のカウンセリング学習会の中で、「深み・味わい」についての話題があがった。歌の歌詞の深み味わい・ドラマを見て感じる深み味わい・食べ物を食べる深み味わい・自分の好きな事に没頭する深み味わい・ビールを飲む深み味わい・相手の話を聴く深み味わいなど。私も自分の生活の中で起きるその時々の事実に対して、深く味わえる深みのある人生を送りたいと感じた。
その後私は家に帰り考える。「私の生活は深み味わいのあるものになっているか?いや、なっていないところがある。だって、晩酌でビールを飲んでその後日本酒を飲む。酔いが回り後半は見ていたテレビ番組の内容が残っていない事もある。惰性で飲んで、記憶が曖昧でソファーに寝て夜中に目が覚めて布団に移動。深み・味わうというところとは程遠いなぁ」と実感する。翌日、ランニングをしながら次の事が頭によぎる。「晩酌だけじゃない、本を読んでいても先を急ぎセカセカ、新聞もナナメ読みでセカセカ、いや、今このランニングの瞬間も、先を急いで足を前に出してゴールを目指している。今、この瞬間に起きている私の足音・氷のある雪道に足を着地させて一歩ずつ蹴り上げる動作・私の口から出る白い息・私の横を走り抜けていくバスの様子・向えから歩いて来るお婆さんの様子など、味わいを得ようとすれば、その瞬間に味わう要素が溢れている。なのに、ゴールしたら次は何をしようかなど、今起きている感覚を味わう事なく先を思考で考えている。五感で今自分に起きている事を味わう事なく、思考で考え今を流している」と。ランニングをしながら、自分の身体に今起きている事に意識を向けると、今まで以上に楽しいランニングの時間に変化した。その瞬間、私は楽しくなってきた。そして、「人生って面白い」と実感した。
家についてまた次の事を感じた「昨日の食べ過ぎで胃に違和感が・・・」私は思う。「暴飲暴食で、胃が不快・・・深いどころか不快だ」と。私は今日からビールを深く味わう事でビールの量を減らせるだろうと確信する。ビールを味わう深さだけではなく、その瞬間に自分に起きる出来事を通して、自分や周囲の人や物などを自分の中で深く味わおうと思う。この文章を作成しているこの瞬間も、自分が選ぶ言葉を今までよりも味わっている深さを実感している。
2021.1.10 (成)