「野球を通して」
私は学生の頃から今でも野球をやっています。同じ「野球をやる」という状況でも、以前とは違った感覚が沸いている最近の状態について書いてみようと思います。
私の野球人生では、小学校ではエースで4番、中学でも1年生から試合に出られる状況でした。高校は甲子園常連校に入学しましたが、3年間一度も背番号を手にする事はありませんでした。高校卒業後も社会人の野球チームに所属し、仲間と共に自分でチームを作って今でも野球の試合をしています。
若い頃の私は、(自分が試合に出る事)=(野球をやっている)という感覚が強く、試合に出る事が出来ないと野球をやっているという感覚が得られない状態でした。そのため、10代の頃は試合の途中で交代させられると「今日の野球は終わった」などと思っていました。ここ数年、チームのメンバーが少ない事もあり、40代になっても試合に出る機会が多くなりました。
今年も野球シーズンが到来し、先日試合が行われました。その日はここ数年の状況とは違い、沢山の若いチームメンバーが揃いました。私はキャプテンという立場とは抜きに、自然と「自分試合出なくても大丈夫だよ・・・せっかく来た若い人試合に出してあげて」と、声になりました。
私はその日、久しぶりにスタメンから外れました。その日は風が強く寒かったのですが、私は3塁コーチャーや試合中の球拾い等を率先して行いました。その様に自分が行動してみて感じたのは「試合に出ていなくても楽しい・・・この寒さを感じながら、玉を拾いながら、ベンチに座りながらプレーする選手に声をかける・・・試合に出ていなくても野球をやっている・・・このグランドに立てている幸せ・・・ユニフォームを着て、スパイクシューズを履いて・・・応援に来てくれているチームメートの家族と会話をして・・・これも全て野球をしていることだ」と感じました。
試合の最後に、代打で1回だけ打席に立ちました。結果は内野ゴロでアウト。以前なら、打てなかった事に気持ちが囚われる場面です。この日の試合は負けました。以前なら、勝てなかった事に囚われていました。
ただ、今の私は「負けても、打てなくても楽しい」と感じる事ができます。自分の中で「野球をする」という幅が広がった今の自分です。
2022.5.10 (成)