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2024/02/01

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 98

1月29日愛犬が耳を痒がっているので、かかりつけの動物病院に連れていきました。待って居る間他の飼い主さんと軽いお話をしました。皆さん愛犬を心配しつつ愛おしそうに抱っこをしています。

我が子(愛犬)は、同じ症状で何度か受診しているので、診察を嫌がります。助手さんに抑えられて耳を見てもらい始めるとキャンキャンと必死に声を挙げて抵抗し始めました。親の私から「怖がりなので…」と言い訳がましい言葉が思わず出ました。『あまり痛くしないで…。ココちゃん頑張れ…。』と心の中で言っていると助手さんから「まだ何もしていないよ」と言われてしまいました。『あれ〜 そうなの…』と肩の力が一瞬抜けて思わず笑いそうになってしまいました。

 

私達は毎日様々な出会いや出来事に感情を湧かしながら過ごしています。心地の良い感情ばかりに出会いたいのですが、そんな訳にもいきません。喜怒哀楽全ての感情は私達にとって、生きる方向性を決定付ける大切な働きの一つであり、その大切な感情が込められて言葉が発せられます。

しかし言葉にすることで『言葉では伝えきれないが、言葉を使わなければまた伝えられない』と矛盾する思いに葛藤することも起きます。

 

出会いをいただいた人達から次のような言葉が届けられたことがありました。

・誰も分かってくれない。

・我が子には優しさだけを身につけてほしいので、その方法を知りたい。

・人形みたいに心が動かない人になりたい。

・他の人の感情が理解できない。等々

いずれの人からも深い苦しみと葛藤が伝わってきていました。『深い苦しみと葛藤』と大きな括りで言葉にすると分かったつもりになりがちです。決して括らずにその様に言わざるを得ない状況・状態・複雑な心境等を相手に添って傾聴したい、といつも思っています。

『自分を分かり得る唯一の人は自分だけ』が人の現実です。だからこそ心を通わせたいと願うのが私達人間だと理解しています。

 

書き進めていると『しなきゃなんて うそさ♪』『しなきゃなんてないさ♪〜』とテレビからCMが流れてきました。お一人お一人が社会(環境)に適応する力を発揮しながら自分らしく自由に強く生きてほしいと願っています。

     (若) 2024.1.30 筆