『有る』と『無い』
自分の五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)で『有る』を知ります。同じ場所で同じものを見ても見え方は独り独り違います。
ありとあらゆる方向からそのものを知覚し知ることはできますが、人は自分の知覚したものしか知ることができません。また、自分の目の前に物が有っても知覚されず意識に昇っていなければ『無い』ということであり(無いと言う認識もありませんが)目の前に無くても意識に昇っていると『有る』という心の働きがあります。物事の有無はそのものが有るか否かではなく、個人の意識によるものです。
カール・R・ロジャースに学ぶ≡ P. C. A. ≡
カウンセリング入門 基礎理論 若狹惠美子著(当センター代表)より抜粋
学習会で上記文章を読んでいた時に、そうそう…そうなの。と大きくうなずいていた自分がいました。
生命体の働きとして書かれている、その文章をきっかけに自分が最近しでかした出来事を思い出しました。
その日は、何だか慌ただしく、気忙しい感じで、頭の中で色々と思いめぐらせていました。頭の中に意識が向いて考え事をしているので、自分の周囲は見ているようで見えていないという状態になっていたようです。見えていないということにも気づいておらず、目的地について車をバックさせたときに『メリッ』と何とも嫌な音が響き、慌てて車を止めて確認すると、塀にぶつかって、車の左後部がへこんでいました。(自損事故だったのは不幸中の幸いです。)
塀が急に生えてくるはずはないのですが、私にとってはぶつかるまでその存在は無いものでした。
バックモニターがついていても、見ていなければその機能は使われていないのと同じで意味がありません。
「貴方の不注意ですよね。」といわれれば、「はい。そうです。」としか言えない状況です。
やってしまった…となった時に初めて自分が心ここにあらずの状態だったことに気付きました。
『今ここでを大事に』と学んでいながら、全く『今ここで』にいなかったということです。
ここでぶつかるまで、注意力散漫のまま運転していたことになります。本当に危険。運転中の自分の状態に気を付けなくては…と改めて自分に言い聞かせました。
やらかしたことの代償で自分に返ってきた高い修理代金に、自分の気持ちは車以上にへこんでいます。
2024・7.18(N)