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2024/11/22

ちょっと一息 118

自分を味わう時間

 

 先日のエンカウンター・グループで、午後からのセッション、沈黙が続いたその時、自分が感じていた事を言葉にしてみた。

 

 「セッションの始まりは、沈黙のことが多いので、ポットのお湯が沸いた音が鳴っても誰も何も言葉にならないようなら、自分が言葉を出そうと決めていた」こんな話始めだったように記憶している。

 

 この様に話始める前に、話始めるきっかけをポットのお湯が沸いた合図にしようと決めた私自身の動きは、その時から意識はポットに向いており、沸騰していく様子が手に取るようにわかるかの如く集中していた。その間に誰かが何か言葉を出してくださるなら、それはそれで私は、出なくとも良いという想いもあった。

 私の中では、沈黙の時間がダメなのではなく、せっかくの研修の場なので、聴きあい・伝えあいの時間がなく、沈黙のまま時間が過ぎていくのがもったいない感じがしていたのだ。なので、もったいないと思った自分が言葉を出すという行動にでた。行動に出ることで、何が起きるのかはわからなかったが、この場では、何が起きても大丈夫という感覚があったことも確かである。

 

 そして、「今、言葉にしてみていかがですか?」と尋ねてくださった方がいてくれた。その言葉を返してくださった事がきっかけで、「たった今の自分を観る」時間が訪れた。その間は、誰にも邪魔されず、安心して自分が何を感じているかを観ていく時間が保証されていた。

 一人暮らしが長くなってしまった今、その気楽さに慣れてきたものの、家の中では言葉を交わすことがなく一日が終わることも多い。自分が話した事に反応が返ってくる事を、嬉しいと感じている自分を味わうことができた事を言葉にした。そのあとに、自然に感謝の言葉が湧いてきて、「ありがとう。」と伝えることが出来た。そのやり取りを観ていた他の方からも、私の喜びを一緒に味わおうとしてくださった言葉かけをいただき、再びありがたい気持ちが広がり、その方にも「ありがとう。」と伝えることができた。

 

この一連の流れは、私の中で感じて動いた処を私自身が素直に言葉にすることができ、その言葉を私の中で起きていることとして聴いてくださる方々の応答のおかげで、更にたった今の自分の処を味わうきっかけを頂き、「今、嬉しいと感じている」自分に出会うことができたのだと思っている。自分と他者との関係の中で感じて動いた今ここでの感覚。これは、自分の中だけで想い巡らせていただけなら、味わえなかった感覚だろう。

 そういう体験を味わえる場がここにはある。自分を感じて、そのまま受け止めることで、次がやってくる。それが、自分の中で起きている事と理解できれば、自ずと自分の動きも決まってくる。日常ではなかなか意識できていない処でもある。

この体験により、そういう場を創れる人・人間関係を持てる人になりたいと強く思う自分にも出会った。

 

                            2024・11・18(N)