違うということ
昨日 外ですれ違いざまに聞こえてきていたサラリーマン二人組の会話が今も私の中に残っています。「自分がどんだけ違うのかわかっていないよな・・」「そう 〇〇〇・・・」 聞こえてきていたのはここ だけなのですが、どうやらその二人ではない誰かのことを言っているように聞こえてきていました。
自分が周りの人達と違うということは当たり前のこと、相手もこちらとは違うことも当たり前、、、誰しもが1人1人みな違って当然なのですが、 職場だったり学校だったり友人グループの中だったり、集団(社会)の中では共通の方向性や認識をもつことが求められるし、時には必要で大事な場面もあります。
例えば 同じテレビを見ていて笑うポイントが違ったり、泣ける場面が違ったり・・それぞれ心が動くところはそれぞれの感覚として正解も不正解のポイントがあるわけではなく、違いを認め合いやすい(違いが気にならない)場面もあるのに、、、
仕事のやり方を 「こんなやり方すればよいのに」「なんでそんなやり方をしているの?」 と言われると(自分が相手のやっている事を見て思っている時も)言われた側が間違っているように感じてしまいます。“感じ方”という心の世界に限らず、やり方や考えの違いも、「そのやり方(考え方)になったのはどういうことから?」と相手のそこを知ろうとする関わりがもてるようになると 関係性だけではなく、色々なアイディアや広がりが出てきます。
“違う”ということがダメなことではなく、“違いを伝え合う”“違いを分かり合う”ことが当たり前に出来る職場の人間関係になるとよいのになあ、と思いを巡らせています。 (S)