日常と当たり前
5月を過ぎたあたりからか、小学校・中学校の体育の授業がグラウンドで行われている光景を目にする機会が増えてきました。今朝も朝9時過ぎ1時間目の授業でしょうか、中学校のグラウンドで50Mか100Mのタイムを計っている場面を横目に見ながらセンターへと来ました。〝朝イチから全速力で走るなんてすごいなあ、私なら無理だなあ“などと思っていました。・・・が、ふと 自分にも小学生や中学生の頃はあって 当時 1時間目が体育だった時もあったろうな。と・・・当時の自分は、きっと朝から走るなんて無理とも思わずに当たり前のように授業を受けて、走っていただろうな、と思い直しました。
今の自分にとって「無理なことが当たり前」と思っていることや「出来て当たり前」等々・・・自分にとっては当たり前だけれど他の人にとって当たり前かどうかはわからない、という事に意識は向きやすいけれど、 過去の自分と今の自分そして将来の自分の「当たり前」が違っているという事を意識してみたことはあまりなかったなあと思いいたりました。
・・・「当然」とか「当たり前」という言い方を日々の場面で言ったり(使ったり)思っていることって意外とあるけれど、「当たり前」という言い方よりも「今の(私の)日常(は)」という言い方のほうがピッタリだなあ、 と 今は思っています。 (S)