数年ぶりにあった知人に挨拶がてら近況を尋ねていた時、「もう覚えていないかもしれませんが、あの時にかけてくださった言葉が支えになっていました。」と言われました。
その時のことを話して下さり、私自身、話したことを思い出したものの、何気ない日常会話の一節に思い入れがあったわけではなく、ただ自分が経験したことを踏まえてお伝えした言葉だっただけなのに、それが支えになったと言われ驚きました。
その話を伺いながら「会っていない期間中も○○さんの中に私を住まわせて下さってたんですね。」とお伝えした処、「そうなんです。時々出てきてくれていました。」と嬉しそうに応えて下さいました。
その方との話はそれで終わりましたが、その後私の処で色々と想いを巡らせています。
言葉は口に出すまでは出す側のものですが、口から出てしまえば聞いた側の受け取りです。
なので、伝える時は自分が伝えたいことを分かり易く伝える必要がありますし、聞く側も受け取ったものを相手に確認することで行き違いは少なくて済みます。
ただ、日常会話では余りお互いに確認し合うこともなく話は進んでいきますし、お互い勝手に受け取って理解していることが多いので、結局、相手がどのように受け取られたかはわからないままです。その受け取りのまま、その人の中でイメージは膨らんでいくようです。自分の与り知らない処で影響を与えていたことを改めて教えていただきました。
今回は好意的なお話として話してくださいましたが、その逆の事も起こりうる可能性があるということも心に留め置く必要があります。
与り知らない処での動きについては、こちら側でどうにもできませんが、会っている時、目の前にいる人とどのように関わるかは、こちら側の関わり方として学びながら改善していけるところですし、私自身が身につけていきたいと日々重ねている処です。
久しぶりにお会いできたことも嬉しかったですが、人との関わりについて改めて考えるきっかけを頂いたことに感謝しています。
2023・6・20(N)