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2016/05/01

学習会でのひとコマ 39

少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝えあいが実践的に体験学習として繰り広げられています。

 🙂 聴き方講座世話人 若狹のコメント・声がけ

 

学習会でのひとコマ

4月×日 

Kさん   今 職場の同職種の人達で、『傾聴』と言う共通テーマのレポートを書いていて、今後そのグループで、全部を検討しながら学んでいくことに、なっています。だけど、書いてみてとても難しいなぁと思っていて・・・。

 🙂 難しいと言うのは?

Kさん   それぞれが、その言葉の意味や傾聴って・・と書いている。でも何かそうなんだけれどそうではない、表現しきれない何かが私の中にあって・・・それ以上深まっていかない・・・

 🙂 傾聴と言う言葉の定義づけ等では何か言い現わせない・・・足りない・・表現しきれないものを感じているのね。

Kさん   はい、そうなんですよねぇ。皆さん同じようなレポートの書き方ですし・・・私も
同じような内容なんですね。でもそれだけではない何か、深まっていかないんですよねぇ・・・。

 🙂 傾聴と言う言葉に焦点を当てると、聴き手の方からの一方的見方・考え方になるけれど、傾聴が成り立つには、『人と人の関係』をなくしてはねぇ・・・と私は思うのだけれど。
(この言葉が伝わった途端、Kさんは涙になりました。何かとても大きな衝撃が走り、涙になったとのことです。)

 

 

        🙂 世話人がKさんの言葉になっている気持ちを傾聴し、Kさんは、世話人の言葉になっている世界を傾聴し、伝え合ったそのプロセスが、まさしく2人の関係の中で起こった時間でした。
人間関係の中で、目の前に居られる人との聴き合い伝え合いが、感情・考え、体の動き等関係のプロセスに添って行われる、『共に』のその一連の流れが『傾聴』と言う言葉で表現されるのではないでしょうか。「傾聴しましょう」「傾聴する」等と言っているうち(時)は、『傾聴』はしていないのでしょうね。勿論『傾聴』と言う言葉を知っても『傾聴』できているとは言えないのではないでしょうか。

人はとても不思議な存在だなぁと、つくづく思います。『相互の人間関係』の中で、その人らしく変化していくプロセスが、伝わってきて、いつも感動を味わっています。