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2016/10/03

学習会でのひとコマ 49

少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
 🙂  聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ

学習会でのひとコマ

28年9月

Оさん  

 『ほめる』と『認める』と言う言葉がありますが、それぞれ意味合いが違っているように考えていますが、あまりはっきりせずに、混ぜこぜにして使っているなぁと考えています。そこをはっきりとさせて、自分のものにしたいと思い、言葉にしてみました。

🙂

 『ほめる』と『認める』は違いがありそうだなぁ・・・と。はっきりさせることで、自分のものにしたい・・・。うん

Bさん  

 ほめる側の価値観で、良いと思う基準に合っている場合にほめますよね。

Kさん  

 そうね。見えたり、聞こえるたり等自分の五感で感じ、そのことが正しいとか、良いとか、素晴らしいと思った時にほめますね。

Bさん  

 それは、ほめる側の基準ですよね。それに合うとか、合わないとか・・・。その基準も一人一人違うし・・・。親の都合・・・例えば、親の機嫌の良し悪しでほめたり、そうでなかったりする場合もあるし。   子育て等でほめて育てる、と言う言い方がありますね。

Оさん  

 ほめて育てると言葉が聴こえて来た途端、なにか、親の思惑が込められている感じがしました。

Kさん  

 そう。私は、方向性・・・・親の方向性・・・・こうなったら良いと言うような方向性を感じました。

Оさん  

 そうすると、ほめるは、ほめる人の価値観・枠組みで判断して、良いになったらほめるし・・・・。そこには、ほめる人の思惑やら、方向性も込められているように感じられる。今迄の自分を振り返って観ると、その時の自分の状態や気分によっても、違っていたなぁって思います。

🙂

 『認める』と言うのは、どうでしょう。

kさん  

 良い悪いとか、上手とか下手とかの区別ではなく、そのようになっちゃった・・・そこは認めてほしいし、認めたいところですよね。

Bさん  

 そう 今 Kさんから『そのようになっちゃったそこは認めたい』と言葉にして下さって、なっちゃったそこは、『ほめる・ほめない』ではないですね。

Sさん  

 考えても、実際は考えたようには、ならないし・・・。考えているのに、分かっているのに、そうできない自分は、いつも沢山いる感じがします。

Оさん  

 上手にしたいと思ってもそう出来ない自分。分かっているけれど、どうにもならない自分・そこはほめるとかほめないではなく、そのようになっちゃう自分を認める・・・・かなぁ。

kさん  

 認めるも認めないも、そうなっている自分。どうしょうもなく、そうなっちゃっている自分。

Sさん  

 そうなっちゃっている自分なんだ・・・と認めると、自分の状態をキチンと、押さえることができる感じがします。そしてなにか、次に進める感じが 今 しています。

 

Оさん  

 何かうまく言葉にならないのだけれど、『ほめる』と『認める』の違いが、私なりに整理ができそうです。もう少し自分でこだわり、深めていきたいと、今そう思っています。

 

        🙂  人間は未完成の生き物、だからこそ完成に向かい歩み続けています。それをなし得る人は、その人自身。前進する力は、一人一人の中に在ります。毎週行われている学習会では、そのことが確かなこととして、私に伝わってきています。有り難いことです。