少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
29年4月
Wさん
同じグループのNさんと、学習会のことでメールすることがあって、先週も話題になったのですが、「“なるようになっていく“とか、”なっちゃう“とか、様々な話が自分のままに語れて、そのままに聴いて貰えて、何かに気が付いて深まって行ける、その様な関係が持てている今のグループは、”あたわりグループ“だね」って、久しぶりにそのグループ名が出てきて…。
(このグループは15年程継続しています。)
🙂
以前にも“あたわりグループ”と言っていたことがありましたね。
Dさん
私は○○出身なので、分からないのかもしれませんが『あたわる』ってどういう意味なのか、何となくは理解できますが、はっきりと分からないのですけれど…。
(そこで辞書を引っ張り出したり、スマホで調べたり…。ある県で、主に使われている言葉、と言うことが分かりました。)
🙂
ところで、いろいろ話が出ていましたけれど、話を最初に戻して、Wさんの“あたわりグループ”の“あたわり”ってどのようなイメージなのですか。こちらは勝手に何となく、分かってしまっていたのですが、Wさんの“あたわり”を聴かせて戴きたいのですが。
Wさん
私のイメージは、考えたり、自分の意志ではどうにもならない…そのようになっている…なるようになっている、そのような状態…。 無力…無力ですが、すがすがしい無力感…です。
Оさん
わぁー その言葉…凄い…すがすがしい無力感ねぇ…。
🙂
無力にもいろいろあるのですねぇ。
Оさん
無力感と言うと、私はなにか、負のイメージがあるのだけれど、そうではないのですね…。
🙂 言葉は、考えや気持ちの全てを言い得るものではありませんが、たった今『その様にしか言いようがない』『その様に言いたくなっている自分』を表しています。
苦しくなってくると、出来ると思われること、考え付くことをして、相手や周りを動かそうとします。しかし変わらない、動かそうとしても、動かせるものではない…。相手も周りの世界も、ましてや自分自身をも…。繰り返される体験から、もうお手上げ…お任せするしかない、全くの無力だと気が付き、そうなって更に、すがすがしさを感じる力に、圧倒させられました。
つくづく思います。自分の思惑や考えで相手を動かそうとしても、人は無力です。しかしそう願う自分のままに、自分がコツコツと行動すると、とても力はあります。
不思議なのですが、どうにもこうにも無力なのだ、と現実を受け止め、お任せした途端、周りの景色が違って見え始めることを経験しています。