少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
29年8月
学習会に、車で数時間かけて通い続けている人から、受講日の翌朝メールが届きました。原文のまま掲載します。(*)については、若狹が付け加えたものです。
昨日も凄く学習になった感触がありました。
どう仕様もない自分のあるがままを、そのまま認める事が出来ないから、相手のどう仕様もない、あるがままを、そのまま認める事が出来なかった自分だ、と分かりました。
あるがままの相手に対して湧くところは、まぎれもない私の感情だから、自分の処でやるしかない。そこには、仲間が必要で…。( * 自分の話を、そのまま聴いてくれる仲間達の意味 )
ただ あるがままの相手に対して湧く、自分の感情を、自分のこととして伝えることも、必要な場面もあり…。
自分と他者の区別の深さを、( * 今迄とは )違った感じで感じながら、車を運転して帰ってきました。
相手のことはどう仕様もないから、こちらが相手をどうこうできないのに、何か相手に対し、こちらが望む姿を、押し付けていたのだと思います。
まずは、自分のあるがまま、どう仕様もない自分自身を認める事から…。
( * 参加していた、学習会の皆さんの傾聴の姿勢 ・ 態度に対して、感動の言葉と、感謝の言葉が最後に在りました。)
🙂 人(自分)の力や考えでは、どうにもこうにもならない事実 ・ 現実と、それに伴ってどうしようもなく体の中から湧き出してくる感情。どうにもこうにも、やり様 ・ やるすべがないのだ。そのところでそのまま立ち尽くすしかない。受け容れなければとか、認めるとかそんなことではなく、「どうしようもない…どうしようもない…」と言い続けて立ち尽くすしかない。
フッと気が付くと、なるようになっている自分の姿を発見します。
しかし どうしようもないのに(どうにかする術がないのに)、どうにかしたい、何とかしたいがやって来ます。
しようもないなぁ…