少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
29年11月
Tさん
長いこと学習会に通って来て、この頃気が付いたことがあります。今迄の自分は、自分の人生観 …… 『観』にこだわって毎日いたかもしれないなぁって思います。結婚観 ・ 生活観 ・ 子育て観 いろいろ、いろいろと。
🙂
あなたのおっしゃっている『観』というのは、自分が願っている理想的な考え方と受け取って良いでしょうか。
Tさん
そうです。
🙂
こうありたい、こうあらねばと言う考え方に 、こだわっていたかもしれないなぁって。
Tさん
心が満たされなかったり、自分に対する満足度が足りないと、どうしても『観』にすがってしまう。こだわってしまう。こうあらねばならないとか、こうあるべきとかを欲しがる。その結果考えた通りならない自分や他者に対して、否定や葛藤が起きてくるんです。そしてまた、何とかしなければと『観』を欲しがるから、また一生懸命考える。今在る自分に対する満足度が足りないと、こう在りたいがどんどん強くなってしまうのです。考えると、それに支えられて強く生きられる感じを持ってしまう。でも 欲しがると気付けないのです。
🙂
欲しがると気付けないって、何でしょう。
Tさん
考えるから、現状が見えなくなってしまう。周りも自分のことも観えてこない。
🙂
頭の中で考えていたことであって、周りのことにしても自分のことにしても、生きて在る現実の世界を観ていなかった…そのように伝わってきましたよ。
Tさん
そうです。 周りのせいにしていました。やっと他者のことではなく、自分が頭の中で考えている自分のことだったって気が付きました。随分長い時間がかかったけれど、ここまできたなぁって。今言葉にしてみて、『観』にこだわることもなくなってきた感じがします。
🙂
こだわりから解放された、そんな感じが伝わってきていています。凄く自然体…。
Tさん
現実をそのまま受け止めて、一日が終わっていく…有り難いことだなぁって思います。
🙂 私達は頭で考えると、考えた通りに出来ると思い、考えたことが事実・現実だと思い込んで居ます。考えているだけなのに、整理がついたら行動していなくても、その様にやれたと思うし、終わってしまったとも思いがちです。理想的な考えをしてもそれは考え方であって、生身の自分ではありません。自分が自分に縛られてしまって身動きが出来ないで居ることにも、なかなか気が付くことがきません。