少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
30年5月
ロールプレイングの実際を、学習会参加者同士で聴き手話し手に分かれて行っている。
Мさん
今回お話を聴かせていただいて「あぁまたやっちゃっている〜。」って。
もともと考えや気持ちが一人一人違う。その違いを認め合おうと学んでいるし、自分とは違って相手のこととして聴かせてもらっているつもりでいるのに、なんだか気が付かないうちに、私の思う方向に話を持ってきてしまっちゃっている。
Aさん
あぁー それって話のリードを聴き手が握ってしまっていると言うことね。
Мさん
相手の話なのに、いつの間にか話のリードをしてしまって…要は聴いていないんですよねぇ。
一見すると話がスムーズに流れて、関係が上手くいっているようにみえるけれど、話す人は聴き手の人に合わせて返事をしたり、話したりすることが起きちゃっている。
Aさん
それだと「自由にお話を…」と言いながら話し手の自由は無くなりますよね。
Bさん
話し手の人が自由に語れるとか、自由に居れると言うより、聴き手の人が、自分の知りたいこと、聞きたいことを聞いていくって言うことになっちゃう……。
Мさん
それでは傾聴ではないなぁって……。
< 🙂 > こんな風にイメージしてみるのはどうでしょうか。
話し手の人は、自分で一生懸命自分の人生と言う小船を漕いでいます。自分の進みたい方向に漕いでいます。聴き手は、その小船に乗せてもらってはいるけれど、どっちの方向に行くのか、疲れ果てて漕げなくなってしまったり、高い波が来たら等々、全て漕ぎ手である話し手にお任せするしかありません。「あーした方が良い、こーした方が…。」と忠告してみたり教えてみたりしてもその通りに漕げる訳ではないのです。その人の力を信じて、周りの波はどのように観えているのか、どの様な気持ちで居られるのか、どの様にかじを取りたいのか、ご本人に教えていただきながら共に揺れ動いているしか仕様がありません。
自分の人生は自分で漕ぐしかないのです。他の人に頼みたくなることもあるけれど…。その様な時、一時でもその不安な気持ちや恐れをそのまま受け止め見守って下さる人が居ればと思います。