少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
30年8月
🙂
言語には音声による言語と身体で表現される言語があり、いずれも基になる体験が何かあって、そのほんの一部分が言語として表現されます。氷山に例えると分かりやすいと思います。水面から出て見えている部分は言葉にしている部分。だけれど目に見えない水面下の部分は、もっともっと大きいのです。音声言語や身体言語で表現されているのは、体験し動いた情動のほんの一部分です。私達は表現されたところだけを聞いて、分かったと思い込んで居ることが多いのではないでしょうか。
Aさん
悩んでいる人のお話を聞く機会がありました。最初はどうやって子育てしていったら良いか分からないっていう話だったのですが、話していくうちに「誰も私の話を分かってくれない。」「皆も頑張っているから」とか「子育てしていたら皆そうだ」とか。言いたかったことは「疲れていて、ゆっくり休みたい。ただその気持ちを分かってほしいだけなのに」と言うことでした。
Bさん
「何も話すことがない」と目も合わせなかった人が、「お話はしなくても構いませんよ。」とお伝えしたら、途端に職場での苦しい思いを語り始めたので、びっくりした経験があります。
Cさん
「何も話すことがない」と言われて「そうですか」で終わってしまっていたらその後の話はなかったですね。
Bさん
イヤーそうですよね。言葉になっている処だけ聞いて分かってしまっては…。自分でも驚きました。
Cさん
私がつい先日経験したことなのですが、主人に世話になったと話しかけてきた人がいたので聞いていると、何もしてくれないご主人に対する不満がどんどん出てきて…。本当は、それが一番言いたかったのかも。
Dさん
体の具合が悪いって友人がいうので、心配になって病院へ行くように勧めたのですね。そしたら職場で上手くいかなくて悩んでいると言う話になって。話したらスッキリしたって言っていました。病院は関係なかったみたいです。
Aさん
そぅ。 話を伺っていて、話していることが言いたいことではなく別にありそうって感じることがありますね。態度や伝わって来るものになんとなく違和感を覚えることもあったりして。