少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
30年10月
Мさん
カウンセリングは『察する』ということと真逆のことなのではないかと今フッと浮かんできました。
🙂
真逆ではないかって …。 『1を聴いて10を知る』とか『忖度する』等と言う言葉もありますね。
Cさん
『察する』って、相手を思いやるような、察する側の心遣いがありますが、後で話し合ってみると、相手がまったく望んでいなかったと言うことも経験しています。
Yさん
『察する』は察する側の考えや枠を使って理解し、配慮してあげるので相手の処ではないと思いますが…。思いやって良いことをしたように思っていても、そこに確認がないから行き違いやズレが結構起きてしまいそう。 『相手をそのまま分かりたい』と言うことからは離れていってしまう……そんな感じ……がします。
Rさん
Мさんのフッと浮かんだ、その突然やってきて言葉になったところは、そこはМさんの処であって、周りが察して勝手に理解できることではないし、そこは本人に教えていただくしかない…ですね。
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その後 別なグループで再度その話が話題になり、辞書で言葉の意味を調べ始めました。辞書には『相手とのやり取り無しに…』『人の気持ちを思いやる』『推し測る』とあります。
日常生活で『察する』ことが必要な時は沢山あって、大切であることには変わりません。しかし感じて動く自分を知り、意識化していくには、本人(自分)のみが出来得ることです。察してあげて、確認もせずに良いことをしてあげたと思い込んでいることも起きます。
その行き違いが『分かってもらえない』とか『もめる』種になる場合があります。
相手に『察してほしい』と願っても自分の願い通りに察してはくれない!のが当然と言えば当然のことかも…。