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2008/11/07

箱庭療法を体験して

私が初めて箱庭を体験したのは、平成18年6月の中旬頃でした。
その日初めて札幌カウンセリング学習センターを訪れた私は、カウンセリングや箱庭について誤った認識があった為、出来上がった作品を心理学的な見地から色々と診断して貰えるものと思っていたので、少し物足りない思いだった事を覚えています。
そんな訳で箱庭というものに対して別段、期待や思い入れも無かったのですが、「単位を取りたい」という欲望の為に今回続けて箱庭を作る事になりました。
今年、7月の箱庭療法研修会では、特に意識していた訳では無かったにもかかわらず、同じテーマを持つ作品が2つ続けて出来た事、又、当時の自分の内面で起きていた事と一致するテーマだった事にとても驚きを感じました。
その後、定期的に箱庭を作ったところ、回を重ねるごとに今、その時の自分にぴったりの作品を作ることが出来、その時の作品が今一番好きだと思えるものになりました。
2年前の初めての箱庭を含め全8回行いましたが、私が一番心に残っているのは7回めの作品です。
湖の中に女神を置きたかったのですが、女神の像を置いたところ何か違和感があり別のフィギアを探していた時、目が合った小さな女の子を置きました。
「生きている意味を見つけたい」という事が私が精神的な事に傾倒して行くきっかけでした。いつも心のどこかに自分は生まれて来てはいけないダメな子という思いがあり自分を責めていました。
両親に認めてもらいたい、特に母親に愛されたいという思いがあり満たされない欲求を埋めようと精神世界やセミナーに打ち込んで来ましたが、カウンセリングと出会い、今まで見えなかった事が見えて来た時、私を否定していたのは両親でも誰でもなく私自身だった事に気付きました。湖の中の小さな女の子を嫌っていたのは私でした。
彼女が何かをするたびに他の誰かと比べたりして責めて来ました。
自分が自分を嫌っていたから私は楽になれなかったのだと今ではそう思います。そして、その苦しみから逃れようと進んで来た道がこれまでの私の人生になって今ここへつながっています。
彼女が私を運んで来た、彼女がカウンセリングと出会わせてくれた。
ずっと嫌って否定し続けて来た小さな女の子に救われたと思った時 私は胸が熱くなりました。そして神様は一人一人の中に居るという いつか本で読んだ言葉が思い出されました。
湖の中の小さな女の子は私の女神だったのです。その日はとても神聖な気持ちで帰路に着きました。道ですれ違う見知らぬ人達の中にも小さな神様が宿っているんだと思うとうれしくて一人一人に心の中で「ナマステ」と声をかけて歩きました。
サンスクリット語の「ナマステ」という言葉には、「私とあなたの内面に宿る魂に敬意を表します」という意味だそうです。
私がずっと嫌っていたあの子は湖の中で微笑んでいて、彼女を嫌っている私を幸せの道に導いてくれました。何の見返りも求めず、嫌われているとわかっているのに…。私はこの力を「愛」だと思いました。
始めはあまり期待もせずに行った箱庭研修でしたが、これらの作品を作る間の自分の心の動きや出来たものによってフィードバックされる心の変化など、箱庭療法の奥深さを感じる事が出来ました。
きっかけは単位の取得でしたが、たっぷりと自分と向き合えた貴重な体験を通して、“療法”というその名の通り自分自身がとても癒された体験でもありました。
世話をしてくださった若狭先生や小松さん、箱庭研修会のスタッフのみなさん、今まで私に関わってくれた全ての人達、そして自分自身に感謝します。
D・Y