ブログ

2011/11/17

エンカウンターの研修を終えて

私は、初めてエンカウンターグループ研修に参加しました。

参加する目的となるものや不安も特になく、「なんとなく、楽しそうな感じがする。」
ただそれだけの私が第1日目の朝、事務所の入り口にいました。

〈10月7日(金) ~1日目〉

13名の参加者のうち初めてお目にかかる方も何名かいらっしゃいました。
若狭先生の「それでは始めます」の一言から無言の時間がスタートすると、楽しみにしていたこともあり、私の中で笑いだしたくなる衝動が起きました。― 今、思うと少し興奮していたのかも知れません。―

必死にその笑いと戦う私。
この静けさの中で笑ってはいけないと思う私。
笑いたい私。

そんな戦いがしばらく続いて、笑いたい気持ちが収まると、今度は自分の中がとても落ち着いた状態になりました。この落ち着いた感じは、最終日まで基本的にずうっと続いていました。

〈耳側の静けさがやぶられたとき〉

○○さんが、最初の声を発してくれた時に、人の声を耳にした驚きとほっとした感覚が忘れられません。声を聞くと何か安心します。言葉にしてもらうと、その人を身近に感じることができ、少しでもその人を知ること (見えてくる) ができるような気がしました。

次いで、△△さん××さんと続き3人の関わりを聴かせてもらっているうちに心の中に何かあたたかい、ほっこりしたものを感じました。「想いや伝えたいことを言葉にしようとすると、緊張したり、勇気がいったりするけれど、言葉にすることでその人をより感じることができて、言葉ってステキだなぁ。」と想いました。
その後で、若狭先生が「言葉にならない言葉」「想いを言葉にすると嘘っぽく感じる」とおっしゃった時、ハッとしました。なぜなら、今さっき「想いを言葉にすることがステキだなぁ」と想っていたところに、言葉にできない想いもあるということを強く感じてしまい、そのことを考えると少し胸が熱くなりました。
それから、「つながりも生き物」とおっしゃった時、とても気になってもっとどんな
ものか知りたくなりました。◇◇さんがそこのところを聴いてくださったので、とても嬉しかったのを覚えています。

悩みって、心がその想いにとらわれているのでストップしている感覚があるけれど、今までと違う自分に出会う機会 (チャンス) でもあるのですね。実際は、そういう時のほうが、動いている・成長しているのだと想います。

1日目が終わり、帰宅しました。少しポーッとした感じが体の中にあり疲れているのかどうかよくわからなかったです。

××さんと若狭先生の関わりのところが思い出され、 「人の話を聴かせてもらっているときに、その人の言葉でなかなか返すことができない」 という想いのところで、「私もそうなのよね。」とぼんやりと考えてしまいました。

話を聴かせてもらっているときに考えるのは話されている人であって、聴かせてもらっているこちらではないということ、話を自分の中に取り込んで考えたり、想像したりするのは聴いているとは言えないということは、頭ではわかるのですが、つい自分の世界にばかりいてしまう。
感情の言葉をその人に返していくうちに、その人が自分の世界で気づいたり成長したりすることは、私自身が体感しているのでとてもわかります。

ですが、自分がそうなれた時にどのように関わってくださっていたのか、うまく思い出せないのです。自分の感情とか感覚が研ぎ澄まされていて、自分しかわからないようです。自分がどう感じているかしか、わからないのです。
やはり、経験していくしかなさそうだと感じて、その日を終えました。

〈10月8日(土) ~2日目〉

2日目もやはり、若狭先生の「それでは始めます」で笑いのスイッチが入っていました。-とにかく、楽しいというか可笑しくなってしまうのです。

そして、この日私の中に強く残っていたこと。

自分の言葉で語ることによって自分になっていくとは?
その人の姿を鏡のように見せてさしあげるとは?

私の自分になっていく感じとは、 「○○ってどういうことですか?」とか「○○とは△△のようなことですか?」とか「○○なんですね?」などと確認されると、なんだか説明したくなる自分がいます。そして、話していくうちにぴったりする言葉だったり感覚だったりを自分の中から探して、それを伝えたくなります。すると、だんだんもやもやした霧が晴れていくように、クリアーになっていきます。その感じです。
まさか、カウンセラーが私の鏡になっているなんて全然気付きません。きっと、カウンセラーが鏡であればあるほど私は私を感じることになるので、話に夢中(集中)になってしまいます。鏡のところがよくわからないです。

鏡になれるように、話されているたった今のその人が湧いている、その気持ちを聴くということ。相手の話をできるだけそのまま、くっつけたり減らしたりする必要はないということ。この日はこの言葉を忘れないでおこうと思いました。

夜、帰ってからこの研修の意味を考えさってしかたありませんでした。何かを得たり感じたりするような気がするのですが、今一よくわかりません。ただ、なんだかみんなの気持ちに触れると、私の心がぐるぐる動き出して、その人の気持ちに触れたい。もう少し感じていたいという想いが、ムクムクと湧きだしてくることが何度かあったということを思い返していました。

この日は、1日目よりも瞬時に眠りにつき朝までぐっすりでした。

〈10月9日(日) ~3日目〉

朝、研修が始まる前に、若狭先生から「エンカウンターとは、何だかわかりますか?」と
問いかけられました。きっと、ゲームで敵キャラに遭遇することをエンカウントというので、「何かに会う」はずだなとお昼過ぎまで考えていました。

その後、先生からお答をもらって、少しホッとして少し驚いてしまいました。自分の気持ちとか誰かの想いとかまたは、それ以上のもの (何か一つのすばらしいもの) との出会いを想像していたのに-答えは、一つでなければと思っていました-、一つではなく、自分との出会い・他者との出会い・グループとの出会い、三つも 出会えるものだったとは!さらに、自分の気持ちとみんなの気持ちのどっちか一つに決められなかったので、三つの中に入っていて良かったなとホッとしました。

なんだか、「グループとの出会い」と言葉で聴いてみると、この教室の空間に大きなうねりのかたまりのような、みんなの想いが一つになったものが存在するように勝手にイメージしてしまいました。
その三つと出会うためには、こちらからでていかなかれば出会うことができないと知り、「私は、出ていけてるだろうか?」そんなことが心に浮かびました。

とにかく、エンカウンターというものが、明確に私の中に飛び込んできてすっきりしました。

〈10月10日(日) ~4日目〉

エンカウンター最後の日、朝から落ち着かないような、ほんの少し寂しい感じがしていました。

今でもドキドキする××さんと□□さんのやり取りが思い出されます。たぶん文章にその時の会話を起こしたとしても、正直なんてことのないたわいのない話言葉だと思います。ですが、お二人の優しい人柄と友愛の情のようなものが一言一言にあふれてくるようで、感動・心が動く、震える、とにかくその場にいさせてもらったことに感謝の気持ちで一杯です。やっぱり、人っていいなぁと想えて喜びの中にいました。
間違いなく、とても気持ちのいい空間の中にいました。

4日間を終えてみて、期間中何人かの入れ替わりこそありましたが、いつの間にかあの場にいたみなさんのことが懐かしい仲間のように感じられて、もう少し、あと一週間ぐらい一緒に居たいと想いました。
私にとってエンカウンターは、何もかもが初めてなのに懐かしいと想う何かがあったのだと想います。
間違いなく目には見えないけれど、人間のエネルギー・生が、美しい輝きのような何かが、その時々のある瞬間から存在してそれに触れたように感じています。この経験が私自身をとても豊かにしてくれたと感じます。

4日目は、今までの(3日目はだいぶおさまっていました) 「笑い」とは違う嬉しさの「笑い」のような想いがこみ上げていました。この日の「笑い」は我慢しませんでした。とても気持ち良かったです。

この4日間でたくさんお話を聴かせてもらっている間、何度かこちらからお尋ねしたい気持ちになっていたのですが、なかなか声に出すまでにいたらなかったことがありました。お尋ねしたい想いが持続しなかったり、自分に自信がなかったり、周りの空気 (他者) への遠慮が働いたり、人からどう見られるかが気になっている自分がいたりと、忙しく (一人で何役もしているような感じ) 結果、お尋ねしないことを選んでいる私だったのだと想います。

今回、おもしろかったり心地よかったりとわりと気持ちのいい時間を体感させてもらいましたが、もし、次回また参加したら、また別の私に出会えるかもしれないなと想っています。
4日間とても貴重な出会いをありがとうございました。すべてに感謝いたします。

S・M