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2010/03/03

エンカウンターグループ研修会 感想 5

21年の5月からカウンセリング学習センターで学習会に参加し始めて約4か月。初めてエンカウンターグループに参加しました。エンカウンターグループの予備知識などは無く、ほぼまっさらな状態での参加でした。日程が4日と長期間であるし、学習会の勉強の中でも特別なものなのかなという気がしていました。エンカウンターに臨む前の私の心境は、「自分は初めての参加だから上手くやっていくことができるだろうか?」というようなものでした。何をやるのかもわからないのに上手くやるも無いものだと、今では思いますが、参加前はそう思っていました。そして、いつも学習会で会う人たちの他に、たくさん初対面の人たちがいることを想像して、少し緊張もしていました。

エンカウンターグループに4日間参加してみての感想は一言ではとても言えません。色々なことが私の心の中に起こった4日間でした。最初の一日は、自分が予想していた通り、初対面の人がたくさんいて、全然自分に余裕がありませんでした。「この人は良い人そう」、「この人は怖そう」、「この人の話は聴ける」、「この人の話は良くわからない」「この人の・・・」と自分の頭の中では色んな憶測が飛び交っていました。今考えると、自分の「枠」で相手を見ていたのだなと思いますが、当時はひたすら周囲の人を外から観察して自分の身を守っていました。ずっとそうしていると、今度は人の話を聴くことが苦痛になってきました。どんな話を聴いても自分の頭で考えて善い悪いという自分の判断をしようとしてしまうからです。エンカウンターの初日に自分が話せた事といえば、自己紹介と「とても苦しいです」ということぐらいでした。初日が終わったときは身体がものすごく重たく疲れていました。2日目になっても最初は同じ状態が続いていました。自分の枠をはずそうと思っても、外すことができなかったのです。誰の顔を見ても、話を聴いても、自分の事しか見えませんでした。それでも、皆が話す場に座っているうちに、誰の顔を見ても、話を聴いても自分の事しか見えなかったのが、少しだけその人の顔が見えてきました。別に聴き方を変えたとか、何かがわかったということではありません。ただ、その人が話す姿が少しだけ「見える」ようになったのです。自分にとって怖いことを話す人、一生懸命に何かを伝えようと話す人の、そういう怖かったり、一生懸命だったりしている顔が見えてきたのです。そうなってきてからは話しを聴くこともそれほど苦痛ではなくなってきました。自分と皆の関係が少し進んで、自分の身を守っていた枠がちょっとだけ外れたのだろうと思います。枠が外れたきっかけというのは大したことではなくて、ただ、皆の顔や話し方にちょっとだけ慣れたというぐらいのものだと思います。ここまでが、自分がエンカウンターで経験したことのまず1つです。カウンセリングは「援助の人間関係」という言葉を学習会で習いましたが、誰とも関係しようとしないで外側から理解しようとしたって、人の話は聴けないということを、私は身をもって経験しました。

もう1つ、エンカウンターで私は経験をしました。人に関わらせてもらう経験です。このエンカウンターの中で、私は自分から人に関わらせてもらう経験を3回しました。3回経験してみて、自分の関わりというのは、他人の家のチャイムを鳴らしておいて全力疾走で逃げる「ピンポンダッシュ」みたいなものだと、率直な感想として思いました。幸い、私がピンポンを鳴らした家の人の心が広いおかげで、単なるいたずらではないということはわかってもらえたようですが。勇気を出して、その人に「関わらせていただけますか?」と言うところまでは何とかできたのですが、その人の心にお邪魔したとたんに、お尻がモゾモゾとして、自分がなぜお邪魔したのかも忘れて逃げ出したくなってしまうのです。なんとも意気地のないことだと思いますが、私にとってはそれが精一杯だったのも事実です。上手くいったか、いかなかったかと聞かれれば、上手くいかなかったのでしょうが、私にとっては「今ここで、この人と関わりたい」と思ったときに、声をかけることができただけでも非常に大きな体験です。それに、その人にとって非常に重要なお話をされているときに私に対して心を開き、気持ちを受け取ってくださるなんて、本当に大変なことです。自分の枠でしか話を聞かないでいて、「ああ苦しい」と言っていた自分が、自分とは別の人の心を少しだけでも感じて、関わることができたというのがもう1つの経験です。

4日間のエンカウンターグループを振り返って、色々と文章にしてみましたが、文章では表すのが難しいこともたくさん経験しました。そしてこれからも、もっとたくさん、人との関わりの中で経験し、成長していきたいと思います。エンカウンターグループが終わったときに、素直にそう思えました。

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