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2021/07/15

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 37

「自分の状況」

 

私は最近、昼休みに散歩を始めました。職場近所を30分程度歩くのですが、夕方に感じていた肩凝りが解消されたり、今まで知らなかったお店を見つけたりと昼の散歩から新たな発見を感じています。

 

そんな散歩の途中、片側3車線の大きな道路で杖をついて歩くお爺さんが、すごくゆっくりとした足取りで横断歩道を渡っている姿を発見しました。その速度はまるで「カメ」を思い出させる様な印象です。私は「あの速度でこの大きな道路を最後まで横断できるのかぁ?と、少しハラハラした気持ちになりながらその様子を見ていました。

 

お爺さんが横断歩道の真ん中よりも少し手前まで来た時、横断歩道の信号が青のままから点滅し始めました。私は更にハラハラした気持ちになりながら、

「お爺さん、最後まで間に合わないよ・・・どうするの?・・」と心の中で言葉になります。青信号の点滅が続き、お爺さんがちょうど中央分離帯のある横断歩道の真ん中まで来た時、お爺さんが歩くのを辞めてピンと背筋を伸ばして立ち止まりました。そして中央分離帯に同化するかの如く、真っすぐに立っています。その瞬間、信号は青の点滅から赤に変わりました。お爺さんは車が行きかう傍の細い中央分離帯の横でジッと待ち続け、歩行者側の信号が青に変わるとまたゆっくりとした足取りで歩行を始め最後まで横断歩道を渡り切りました。

 

 私はそのお爺さんの一連の行動を見て「あのお爺さん、自分の事がわかっているなぁ・・・しかも周りの状況も理解する事ができている。かっこいいなぁ・・・。」と思いました。同時に、私もあんな風に自分の状態・周囲の状況を見て行動できる人でありたいと思いました。ただ、高齢になったり病気や障害を持っていると、自分の意志ではどうにもならない事も出てきます。僕が車を運転していたとして、信号が赤になってもあのお爺さんが横断歩道を渡り続けてしまっていた場合、お爺さんの事を否定するのではなく「自分の事や周囲の状況を見る事が難しい・・・仕方ない状態なんだなぁ」と感じ取り、クラクションを鳴らしたりしないでお爺さんが横断歩道を渡り切るまで黙って見守る事ができるひとでありたいと思いました。

 

                        2021.7.5 (成)