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2022/01/15

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 49

相手(猫も)をわかろうとすること」

 

私の家で一緒に住んでいる猫がぜん息になってしまい、動物病院に行くと喘息の診断で薬が処方されました。主治医の先生から、「おやつに薬を混ぜて飲ませてみてください」という提案がありました。

 

 その提案を基に粉薬をおやつに混ぜて猫にあげると、猫は嫌がりながらもおやつの味が美味しい事もあってか、薬を飲む事が出来ました。ただ、今まで食べていた固形状のカリカリした食事を食べる量が極端に減ったのです。

 

 固形状の食事は食べないのに、おやつをあげると食べるのです。妻が猫に「おやつの美味しさに味をしめたのかい?」と猫に話しかけます。私も妻も猫馬鹿・猫親ばかなので、うちの猫は人間が話した事は全てわかると思っています。だって、猫なんか呼んでも来ないという事を周囲から聞く中で、うちの猫は呼んだら来ます。また、「明日は7時に起こして」「明日は6時に起こして」と猫に伝えると、猫はその時間に私の枕元に来てニャーニャー「起きろ、時間だぞ」と声を出します。

 

 固形の食事を食べなくなった猫に対して私は、「美味しい物に慣れてしまったらやばい。今後、固形の食事を食べなくなったら、おやつ代で経済的に圧迫させる事になる・・・」と、頭の中で考えました。とっさに猫に対して「固形のご飯も食べないとだめだよ」と言いそうになる自分が居ましたが、その瞬間に思います「いきなり、食べなきゃだめだよ・・・では、こちらの一方的な気持ちを伝えるに過ぎない・・・猫にも猫の事情や気持ちがある・・・」と。

 

 そして次の瞬間に私が猫に対してかけた言葉は「今まで食べていたご飯を食べないのには、何か事情や気持ちがあるのかなぁ?・・・できるなら、食べられる分だけでも食べてもらえると嬉しいいんだけど・・・」というものでした。

 

猫は特に声を発する事なく座っていましたが、私には「猫はちゃんと言葉を聞いている」という確信がありました。ただ、「猫が私の言葉を聞いていたとしても、固形の食事を食べるも食べないも猫次第だから、結末は私が望む通りになるとは限らない」という感覚が私の中にありました。だって、人、いや、猫それぞれにも猫自身が選択する自由があるという価値観が私の中に強く根づいているからです。

 

 カウンセリングの学びをしていなかったら、猫に対しても「ちゃんとご飯食べなさい」とこちらの思いや事情を伝えるのみで終了していたと思います。また、猫が私の望む通りにならないと「悪い子」と、こちらの価値観で勝手なレッテルを貼る様な事をしていたと思います。

 

自分の行動にも事情や思いがあるのと同じで、相手(猫も同様と思う)の行動にも事情や思いがある。相手の行動だけを見て勝手にこちらでわかってしまわず、相手の取っている行動に繋がっている事情や思いをわかろうとする人でありたいと思っています。

 

そして、その日の夜、仕事が終わり家に帰ると、猫はしっかりと固形のご飯を食べていたのでした。

 

2022.1.4 (成)