少人数のグループ制の学習会では、毎週聴き合い伝え合いが実践的に体験学習として繰り広げられています。
🙂 聴き方講座世話人若狹のコメント・声がけ
学習会でのひとコマ
令和元年10月
〈 🙂 〉
分からないと言う状況を、『はっきりしたい』『分かりたい』と、頭と心は動く。言葉にならないと、スッキリしない。 どうも安定しない。 そんなたった今の自分の状態を、適切な言葉で表現したい。言葉にして置きたい。 人間はどうやらその様な、存在であるようだ。
そうしなければ、こころは前に、進めないのかもしれない。
こだわりから、解放されないのかもしれない。
いつも、何かが引っかかっているようで、意識が、ついついそこに向かってしまう。 悩んでしまう。
何度も何度も繰り返しては、はっきりさせようともがいてみる。でもどうにも『はっきりしない』のだ・・・。新たなもっと別な、腑に落ちる言葉がやって来ないのだ。
「うーん 何と言って良いのか、分からないのだけれど」 「なかなか言葉にならないのだけれど・・・」
それも立派な言葉で、表現されている・・・。
どうにもならなさに、否応なくぶち当たり、身動きが出来なくなると、『どうにもならなさ』を受け入れていくしかない。
どうにもならないのだと、諦かになっていく。 『どうにもならない』 となっていく。
そうなんだよねぇ。 どうにもならないのさぁ。
言葉には、『なる』 働きがあって、思いを込めて伝え続けると、なんだかそのようになってくる。
この一連の混沌としたプロセスに、人としての成長と可能性を感じている … わたし 。