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2007/12/11

21才のせつなさ

今年も、12名の専門学校生(男性4名・女性8名)との出会いがあり、1年間をかけての、カウンセリングの基礎学習がスタートした。
毎回毎回私の右隣に座っているA君は、とにかく良く眠る。本人は眠らないように、眠らないように、と思ってはいるようだが、どうしても眠ってしまうらしい。反対隣のB君は、私の方をチラチラと見ながら、控えめにそれでも必死に彼を起こそうとしている。まるで自分が悪いことをしているような感じで。
5月中旬の学習の場でA君が、眠ってしまうことについて「さぼってとか、寝たくてとかでなくて・・」と言葉にしてくれたので、向かい側に座っているC子さんに、A君の話を『聴かせていただく』ようにお願いし、20分間関わってもらった。

先生に、「また・・」と思われたくない。
勉強することの楽しみがわからない。
疑問とかを質問することによって、起きていられるのかなぁ。
矛盾するけど、授業中に手を挙げたりする人がうざい。
真面目にやるのがカッコ悪い。良い子ぶっていると思っちゃう。
自分が素直になれない。ひねくれているのかなぁ。
すさんでくる。
小学生の頃からひねくれていた。
素直になったらいいのに・・・。 気持ちが言葉になった。

その日、学習の場でのA君は、他の誰よりも手を挙げて質問したり、考えを述べることが多かった。そして放課後話がしたい、という申し出があったので、30分程ご一緒させて頂いた。

付き合ってる彼女に、自分の方から別れを切り出したのが1ヶ月前のこと。今になって自分がどれほど彼女を好きなのか、気が付いた。

「先生、泣いてもいいですか・・・。」

彼女に今の自分の気持ちを伝えたが、もう彼女は自分のことをふっきったようだ。笑い声を聞いたりすると、切なくて、切なくて。こんなにも人のことを好きだという気持ちになったことがない。自分をふっきった彼女も、きっと同じ思いでつらかったと思う。
つらくて夜道を歩きまわり、友人の所にもぐりこんで、寝ることがある。
翌日 A君は再び話がしたいと、友人との約束を断ってやって来た。静かに話ができるようにと、学校近くの公園へ行った。大きな木が周りを取り囲んだ、住宅街の中の小さな公園であった。道路の方を向いて、ベンチが2つ、公園の真ん中に並んでいる。誰もいない。彼女への思いが、切なく涙になって語られた。
突然空を見上げ

「先生この木はなんですか」「これは桜の木 あれはもみじ・・・」

そこへ乳母車を押して、若いお母さんがやって来た。でも何かただならぬ気配を感じたのであろう、すぐ帰ってしまわれた。気力も薄れてしまい、泣いて腫れた目をしながら「これからアルバイトだ」と言う。「調理の方は2~3人でするから気が紛れていいけれど、僕は皿洗いだから、1人。・・洗いながら切なくて・・・切なくて・・・」
私の方まで一緒にため息が出てしまう。

そんなことがあって、1週間振りに出会うと「えっ」と思う程、気持ちが軽くなっているのが伝わって来る。「自分の思いを紙にたくさん書いてみたら、すっきりした。」そんなことを伝えてくれた。

『人を愛し、別れて、切なさに涙して』。彼にとって、とても大事な出来事であったろう時に、ご一緒できたことを、大変有り難いと思う。

それにしても『こころ』とは、なんと不思議なものであろうか。

2003.6.10 筆

若狭 恵美子