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2021/08/15

こころの音色 ~日々の暮らしの中で~ 39

 「関係から育つもの」

 

休日の空いた時間に、学習会の中で学んできた「パーソナリティーと行動についての一理論」の本のてびき書を読んでいると、その書の最後に「この理論を学習し、新たな気づき・感想・将来の抱負などを述べてください」と記載がありました。今までに何度もこのてびき書を読んできましたが、この言葉について立ち止まる事はありませんでした。今回は、なぜかその言葉に立ち止まる自分を感じました。と、その瞬間、私の小学生~高校生までの体験が頭の中によみがえってきました。

 

 私は小学生の頃勉強が出来ず、担任の先生から「お前は勉強が出来ないから中学を卒業した後は働くしかない」と告げられました。小学校の高学年になって野球に出会い、僕の学校生活は変わりました。野球のおかげで自分に存在意義を感じられる様になりました。中学生になっても勉強の成績は下位の側でしたが、野球のおかげで高校は甲子園の常連校に推薦で入学しました。

 

 入学した高校では、道内から野球に自信がある生徒が集まりました。この高校では、僕の野球レベルは下位の位置になりました。勉強も苦手なため、成績も下位側で、高校では自分の存在意義を見失いました。小学生から高校を卒業するまで、私は様々な教師に出会いました。一部の教師からは勉強が出来ない事や、前向きに努力出来ない私の姿を見て「ダメな生徒」という前提で私に言葉をかけている様に感じていました。ただ、その一方で、私を認めてくれた教師も居ました。小学生の時、教室でひとりの女の子が嘔吐した際、クラスメイト達はその場から離れて「ゲロ吐いた」と騒いて教室から逃げていきました。私は女の子に近寄り、嘔吐物を片付けました。(特に相手に好意を持っていた訳ではない)僕の行動を知った担任の先生は、後日クラスメイトや父母の前で、僕の行動を認めて褒めてくれました。

 

その他、クラスでいじめられていた男の子が辛そうに思えて、僕はいじめっ子集団に対して「○○君辛そうだからいじめるのやめろ」と伝えました。そうすると、いじめの標的は僕に向かい、「0点小僧」と馬鹿にされました。ちなみにこの時の教師は、この件に介入しておらず、僕の行動も知りません。中学では体育の時間に体育館に落ちていたゴミを拾い、自分のポケットにゴミを入れた僕の姿を見て、後日学校の先生の多くから「立派だったね」と声をかけられました。この様な教師との関係から、僕はこの時「自分は間違っていないんだ」と嬉しく思いました。

 

 教師のみでなく様々な大人に出会いながら大人になっていきます。学生時代、大人から「お前はダメな奴だ」と否定されると「自分の将来は大丈夫だろうか?」と不安でいっぱいだった事を思い出します。パーソナリティー理論のてびきにあるこの理論を学習し、新たな気づき・感想・将来の抱負などを述べてください」に対する僕の回答は、「自分が出会っていく人たちとの関係の中で、自分の側から見えているその人の表面だけを拾って否定しないで、その人の中にある魅力を感じ取り、その魅力をその人に伝えられる人でありたい」というものです。これを基に、今の私が学生時代の私に声をかけるとしたら、こんな言葉を伝えたいと思います。「勉強が苦手でも大丈夫・・・、だって、お前は困っている人に声をかけたり、行動を起こす事が出来る力を持っている・・・大丈夫だよ」と。

2021.8.12 (成)